自分の生まれ育った国を考える
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吉田大五郎
2008年08月15日 11:23 visibility48
今日の日刊スポーツよりのネタ。
オリンピックって、どうしてこんなに面白いんだろう。
4年に一度の重みが紡ぐドラマもあるだろうし、
それゆえに必死でひたむきな選手の姿は心を打つだろうし、
祭典の名に相応しい、
世界最高峰に位置づけられる大会規模の大きさもあるだろう。
そしてやっぱり、無条件に潜在するアイデンティティー、
我が国という愛国心も、大きな大きな理由だろう。
甲子園だけ見たって、プロより遥かにレベルの低い試合にも関わらず、
毎年、ご存知の通りの人気、盛況である。
自分の母校でなくとも、自分の郷里の代表校は気になるし、肩入れしたくなる。
短い瞬間の時間にしか訪れないチャンスに対する球児の必死さ、ひたむきさ、
それらもさることながら、
それも郷土愛ゆえの大きさ、だろう。
世界では、国籍変更という事態が増えている。
有名なところでは、陸上競技の3000障害、
ケニアからカタールに国を変えたシャヒーンという選手がいる。
彼は世界記録保持者であり、世界陸上の03・05チャンピオンだ。
陸上競技では、カタールと共にバーレーンが、
このケースを頻発、乱発している現状がある。
他では、日本でも同様の例があるが、
卓球などは中国選手の他国への「移籍」も目にする。
五輪の舞台で金メダルを得れば、国とってそれは、
大きな名誉であり、国威の発揚であり、世界へのアピールにもなる。
それらを、金メダルを狙える選手を買うことで、
買おうとしている国があるといこと。
選手には、メダルの暁には報奨金が約束されている。
国籍変更には、様々な例がある。
日本にも、例えばサッカーだけ見ても、
ラモスのような長く日本で過ごしたことで帰化する選手もいれば、
五輪代表の李のように、在日という重い理由を抱えながらの決断もある。
祖国のの政情が不安定なことによる亡命もあるし、
それこそ戦火から逃れての生死に関わる移動もある。
国際結婚による国の変更、という理由もあるだろう。
欧州などのように、二重国籍も珍しくなく、
本人がどちらの国の代表に入るか選べるケースもある。
例えばサッカーなら、人材と才能溢れる王国ブラジルは、
セレソンに選ばれる確立も狭き門ともなる。
自国で選ばれる可能性が低いならば他国でW杯に、
という考えに至ることもあるだろうし、
陸上でも同様に、出場権を確保したいという思いもあるだろう。
もっと言えば、国のために走って、国を愛して走っても、
経済的、財政的にどうにもならない国情の国もあるかもしれない。
ただし、その「移籍先」が、縁もユカリもない国、言葉も分からない国、
その国へ、自分の国を捨て、名前を変え、国籍を移す。
報奨金というニンジンをぶら下げられて。
国籍を変えての出場には、様々な制限も設けられているが、
人間の本質に近い部分の問題だけに、深い話だ。
北島の優勝を誇らしく思うのも、日本人だからだろう。
柔道ニッポンの戦い方に議論があるのも、日本人だからに違いない。
男子サッカーがどれほど情けなくとも、批判しても、
負ければやはり悔しいのは、日本人だからであろう。
今日が終戦記念日だからとか、そんな大それたつもりではないけれど、
考えてみたい問題だ。
そんなワケで、今日のブログは【北京五輪・6日目】と、
ちょっと古い書き溜めだけれど、【犬飼新会長インタビュー】の2本です。
よろしかったら、どぞ♪
http://wearecrazy.exblog.jp/
『Road to PK BAR(仮名)』
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- 事務局に通報しました。
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