ニッポニアニッポン
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吉田大五郎
2006年10月05日 12:29 visibility68
東横線が遅れてやがって、国歌を歌えずに到着した横浜国際。
もとい、日産スタジアム。
ニッポン代表を現地で観るのはW杯予選以来である。
全体的な論評、場面・局面のピックアップ、選手個々への所感、
これまでこのブログで語られたことをベースに、
この筋立てで、いってみましょう。
まず、全体。
そもそも、今のニッポン代表メンバーに望むべくは酷…、
と【ニッポン代表編】「辛口論」において、
ジーコ時代よりも質の劣る選手を起用していることは認識すべきだとはお伝え済み。
ガーナとは、基本技術のレベルが違った。
強いパスを蹴る習慣、強いパスをトラップする習慣。
「蹴る・止める」という単純基本技術だけでも、
日本の印象は全てに、「軽い」、「薄い」。
パススピードの遅さも「軽さ」であるし、
ここに止める、あそこに蹴るではなく、ここら辺り、あそこら辺というアバウトさも、
意識と集中力・注意力の「軽さ」と「薄さ」である。
そういう意味で言えば、オシムの言う「土台」の頑健さが違う、差がある、
ということが全体的な論評の全てになる。
勿論、身体的能力や体躯の違いもあるが、高い意識を習慣づければ埋まる部分も、
そこにはある。
例えば、強いパスを出すことだけでも、
毎日のトレーニングと毎週のJリーグで常に意識すれば全く違ってくるだろう。
基本的には、海外移籍とはそういうことに尽きる。
高いレベルを通常レベルで意識する習慣をつける、そのためである。
次に、局面ごとに幾つか、ピイクアップして話をしてみよう。
日本にとって最も大きかったチャンスとも言える、巻の1対1。
相手守備のラインがバラけた瞬間を作り出し裏を突くことは、
ドイツ大会の前哨テストマッチのドイツ戦での高原のゴールのように、
今後も日本にとっては生命線となっていく崩し方だろうと思う。
つい先日も、「たられば」と「なら」の話をしたばかり。
(【フットボール論編】「たられば」)
Jリーグだっ「たら」、巻のあのタイミングでもシュートを打てたのかもしれない。
でも世界で戦う「なら」、あの遅さではブロックされてしまう、そういうこと。
その「W杯レベル『なら』」を、
通常のトレーニングとJリーグでも意識してプレイできるか、ということなのだ。
これも【フットボール論編】「オシムの言葉」で触れたが、
ハイリスクでもローリターンなサッカーというスポーツにおいては、
W杯レベルの対戦であればどんな劣勢の試合でも、例えば日本を例にとっても、
勝つチャンスは必ずどこかにはあるものだ。
ゴールチャンスはめぐってくる。
アトランタ五輪のブラジル戦が「最良」の例だろう。
押されまくっていても、1−0で勝つチャンス、そのゴール機会は、どこかにある。
(何度も繰り返すように、それは、相手の守備のバランスを崩すべく攻めるには、
自軍もバランスを崩して数的優位なりの状況を作るリスクを負うからである)
勿論、それはつまり、
決めるべき場面を決めなければ負けるという当たり前の結果に繋がる。
今日はいつにもまして長いんで、続きはこちらで♪
『Road to PK BAR(仮)』
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- 事務局に通報しました。
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