原監督を考える(その3):管理野球に対するアレルギーの無さ.

1965年~1973年のV9(9年連続リーグ優勝・日本シリーズ優勝)を成し遂げた川上監督の管理野球のエースは堀内さんであり,4番は長嶋さんであり王さんであった.


 だが,3人が3人とも「管理野球」を嫌った節がある.川上式管理野球は「お膳立て」はしてくれたかもしれないが,「決めた」のは俺たちだという思いがあったろう.そして,それは,おそらく半分以上は事実でもあった.

 長嶋さんは,監督1年目の1975年に「クリーンベースボール」なんてわけのわからないスローガンをかかげて球団史上初の最下位に沈み,王さんも「昔,僕らがやっていたようなおおらかな野球をやりたい.」という趣旨の言葉を言って監督となったが5年間で1度しか優勝ができず,堀内さんは,小久保・高橋由・ローズ・ペタジーニ・阿部とならぶ「史上最強打線」を作ったが,優勝はできずに2年で首になった.

 長嶋さんも王さんも堀内さんも,「エースが抑えて4番が打つ」というシンプルな野球を目指したのだろう.しかし,それだけでは勝てないことも彼らは示したと思う.

 他方,原さんは,長嶋さんや王さんや堀内さんが持っていた「管理野球アレルギー」がない.むしろ,川上さん以上に選手を「コマ」として使って試合を勝ちにいっている.それが可能なのは,「勝つことがすべてに優先する.」ということが(ファンにもフロントにも選手にも)12球団一徹底している巨人という球団だからだろう.

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