☆「野球人」~正岡子規~


 

 

 

愛媛県松山市といえば、忘れてはならない高校があります。
それは、愛媛県立松山東高校である。


 

1828年(文政11年)藩校明教館の流れを汲み、旧制松山中学以来の伝統を持つ愛媛県内最古の高校で、愛媛県内屈指の進学校である。


野球部は1892年(明治25年)に創部され、こちらも愛媛県内では最古であり、春の大会に1回、夏の大会に2回出場、甲子園通算成績は6勝2敗で、1950年(昭和25年)に夏の大会で優勝している。
ただし、この優勝は商業科を併設した統合時代のものであるため、この出場と優勝の記録は松山商業と共有になっている。


 

松山が産んだ偉大な「野球人」の一人に正岡子規があげられよう。
正岡子規は1880年(明治13年)、この愛媛中(松山東)に入学している。その後、同校を中退して上京し、受験勉強のために共立学校(現・開成)に入学したようだ。


正岡子規は数々の野球用語の日本語訳をしたが、そのほとんどが現在でも使われている。
バッター、ランナー、フォアボール、ストレート、フライボールなどの外来語を、打者、走者、四球、直球、飛球と訳している。
また、幼名を升(のぼる)といっていたので、それをもじって「野球(のボール)」と表記している。
ベースボールを野球と日本語訳したのは中馬庚だが、それ以前に正岡子規は読み方が違えど「野球」という字を使っていたのである。

 

 

 

以下は正岡子規が作ったベースボールの歌九首である。

 

 

久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは見れど飽かぬかも


国人と とつ国人の 打ちきそふ ベースボールをみればゆゝしも


若人の すなる遊びは さはにあれど ベースボールに如く者はあらじ


九つの 人九つの 場を占めて ベースボールの始まらんとす


九つの 人九つの あらそひに ベースボールの今日も暮れけり


打ち揚ぐる ボールは高く 雲に入りて又落ち来る人の 手の中に


なかなかに 打ちあげたるは 危かり 草行く球のとゞまらなくに


打ちはづす 球キャッチャーの 手に在りてベースを人の 行きがてにする


今やかの 三つのベースに 人満ちて そゞろに胸の打ち騒ぐかな

 

 

 

 

 

 

 

 

以上です。

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