☆ぶらり散策日記~甲子園史上初!四人の投手が勝星を挙げた大会~
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鶴丸 深志’
2011年05月05日 10:02 visibility6291
千葉県中西部に位置し、東京湾岸に面する温暖な気候で積雪はほとんどなく、東京湾アクアラインのたもとには盤洲干潟が広がり、内陸部には万葉集にも登場する緑豊かな上総丘陵があり、コンディションが良い日には富士山を望むことができる人口13万人の木更津市に、拓大紅陵高校があります。
拓大紅陵は、1978年(昭和53年)に木更津紅陵高等学校として創立され、写真のトンネルを抜けると設備が充実している巨大な校舎があります。
野球部は、春の県大会優勝6回、準優勝1回、春の関東大会9回出場、優勝1回、夏の県大会優勝5回、準優勝4回、秋の県大会優勝5回、準優勝3回、秋の関東大会8回出場、優勝1回を誇り、甲子園には春4回、夏5回の計9回出場し、この出場回数は銚子商20回、習志野10回に次ぎ、成田と並ぶ回数で、通算成績は10勝9敗です。
拓大紅陵といえば、やはり1992年(平成4年)の第74回夏の選手権大会で、初戦から準決勝まで全て別の4投手が勝ち投手になるという長い甲子園の歴史の中でも史上初の快挙を達成しての準優勝を思い出します。
この年の拓大紅陵は、サイドスローのエース冨樫と速球派の杉本、さらに左腕の多田も好調であった。
初戦の智弁和歌山戦では杉本~冨樫のリレーで4-3と接戦をものにし、続く佐世保実戦では先発の杉本から左腕の多田がロングリリーフで好投、最後は冨樫が締めて2-0の完封リレーで勝利した。
準々決勝はやまびこ打線の池田。先発はまさかの下手投げ紺野だった。紺野は千葉大会でもほとんど登板していなかったが、試合は紺野が好投し、強打の池田打線を6安打1失点に抑えた。拓大紅陵は土壇場の9回、立川が起死回生の逆転ホームランをレフトへたたき込み2-1と劇的な勝利を収めた。これが紺野の公式戦初完投だった。
準決勝は速球投手・渡辺を擁する尽誠学園。拓大紅陵は前の試合で紺野が完投したため、エース冨樫が満を持して先発。それまで一人で投げ続けてきた尽誠学園の渡辺投手は限界に達しており、6回で降板。最終回に抑えで登板した多田が打たれ1点差に詰め寄られるものの5-4で逃げ切り決勝へ進出した。
決勝の相手は西日本短大付。西短のエース森尾はここまで一人で投げ抜き、わずか1失点と安定していた。速球にカーブ、スライダー、ときおりフォークも織り交ぜ、抜群のコントロールが持ち味で甲子園史上一といっても過言ではないほどの好投手であった。拓大紅陵の先発は池田戦で好投した紺野。2回にスクイズで1点を先制されたものの、この試合も素晴らしい投球を見せた。拓大紅陵打線は大会№1右腕の森尾を崩そうとあらゆる手を尽くす。強攻策、小技、エンドランからスクイズ、盗塁。しかし、あと一歩のところで得点できずに0-1、頂点へ重い1点となってしまい、惜しくも準優勝に終わった。
毎試合違う投手を使う豪華な投手陣の拓大紅陵だったが、最後はたった一人の右腕に敗れた。千葉県勢が初めて決勝に進んだ時(銚子商)と同様、福岡勢(三池工)に屈した。それにしても、西短の森尾は安定した素晴らしい投手であった。決勝までの5試合を1人で投げ抜き、失点はわずか1点で、防御率は0.20であった。
この大会は、星稜の松井に対して、明徳義塾が5打席連続敬遠をとって、高校野球らしくないと論議を呼んだ大会でもあった。
以上です。
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