☆夏の選手権地方予選~あの頃の夏をここに記録しておこう②~


 


 


関東における夏の選手権地方予選は、第1回大会は東京大会のみ、第2回、3回大会は東京、神奈川、茨城が参加しての関東大会で行われた。



1918年(大正7年)の第4回大会からは、東京と神奈川が京浜大会へ編成され、関東大会は茨城に加え千葉と栃木が参加して行われた。



さらに、第6回大会からは群馬、第7回大会からは埼玉が参加しての関東大会となった。



この関東大会で、第4回大会から第8回大会まで5連覇を成し遂げたのが、過去の日記でも記述した、文武両道の伝統校・竜ヶ崎中(現・竜ヶ崎一)である。


 



第4回大会は千葉、栃木が初めて参加したものの、いずれも茨城勢に完敗した。
この大会に参加したのは、竜ヶ崎中、下妻中、茨城商、銚子商、千葉師範、真岡中の6校であった。
決勝は、竜ヶ崎中が千葉師範(現・千葉大教育学部)を6-2で破り、初の全国の切符を手にした。また、この出場は関東の公立校としても初の全国大会となった。



第5回大会からは、前年優勝校のグラウンドが開催場所となった。
この大会に参加したのは、竜ヶ崎中、茨城商、土浦中、千葉師範、千葉中、成田中、宇都宮中の7校であった。
決勝は、竜ヶ崎中が茨城商(現・水戸商)を11-3で破り、2連覇を成し遂げた。



第6回大会から群馬が初めて参加した。
この大会に参加したのは、竜ヶ崎中、下妻中、土浦中、茨城中、千葉師範、千葉中、銚子商、宇都宮中、真岡中、前橋中、太田中の11校であった。
決勝は、竜ヶ崎中が前橋中(現・前橋高校)を7-1で破り、3連覇を成し遂げた。



第7回大会から埼玉が初めて参加した。
この大会に参加したのは、竜ヶ崎中、太田中(茨城)、土浦中、茨城商、下妻中、千葉師範、千葉中、成田中、銚子商、宇都宮中、栃木工、宇都宮農、真岡中、前橋中、太田中(群馬)、浦和中、熊谷中の17校であった。
ベスト4には、竜ヶ崎中、茨城商、太田中の茨城勢と栃木工が進出した。
決勝は、竜ヶ崎中と茨城商(現・水戸商)の二度目の対決となったが、竜ヶ崎中が10-1で圧勝し、4連覇を成し遂げた。



第8回大会は、竜ヶ崎中、下妻中、茨城商、太田中(茨城)、土浦中、千葉中、銚子商、千葉師範、成東中、成田中、大田原中、栃木工、真岡中、宇都宮農、宇都宮中、太田中(群馬)、前橋中、川越中、熊谷中の19校となった。
決勝は、竜ヶ崎中が大田原中(現・大田原高校)を8-7の9回サヨナラで破り、5連覇を成し遂げた。
実はこの大会の準決勝、竜ヶ崎中と千葉中の試合である事件が起きた。それは、試合中に竜ヶ崎中の応援団がグラウンドに乱入し、千葉中の守備を妨害するという事件であった。
試合は2-1で竜ヶ崎中が勝利したが、茨城県はこの責任をとり2年間の出場辞退を決めた。これにより、思わぬ形で竜ヶ崎中の連覇に終止符が打たれることとなった。
この頃は、他の地区でも応援に熱が入りすぎて、応援団絡みのトラブルがあったようです。
話はそれますが、予選皆勤校の関係者から、「連続して予選に参加できているのは、不祥事がなかったから」という声も聞きました。



翌年の第9回大会ですが、宇都宮商が千葉中(現・千葉高校)を7-5で破り、初の全国大会出場を果たした。
ところで、この大会から茨城県勢は2年間の出場停止であった筈だが、手元の資料を見ると太田中のみ出場しているのが謎である…。


 


 


 


以上です。

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