☆全国中等学校野球史(17)~長野~
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鶴丸 深志’
2014年12月16日 08:14 visibility237
長野県の中等野球はいつごろ始まったか明確でないが、明治30年頃には松本中(松本深志)、長野中(長野)、上田中(上田)、長野師範、諏訪中(諏訪清陵)、野沢中(野沢北)、飯田中(飯田)などですでに行われていたという。
大正5年に初めて開催された第2回夏の全国大会北陸予選には、長野師範のみの参加だったが、予選を圧勝して全国大会に出場した。
大正7年からは山梨が予選に参加することとなり、北陸予選から抜け甲信予選を行うこととなった。
大正12年長野に激震が走った。長野中など北部の学校と松本中など南部の学校との間で南北対立が激しくなり、県立中等学校長会の申し合わせで予選参加が禁止となった。そのため、予選参加は私立の松本商(松商学園)のみとなり、山梨県も参加しなかったため、北陸予選に参加していた新潟を加えて、新たに甲信越予選として開催された。
その後も長野県は松本商を中心に実力を発揮し続けた。
初代表校
長野師範(大正5年夏)(現・信州大)
初勝利校
長野師範(大正6年夏)(現・信州大)
最高成績
優勝
春夏通算成績
81勝123敗
最多勝利校
松商学園 38勝
以上です。
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