☆ 「♪今日は渋谷で5時」を野球部創部に置き換えてみると

押上駅から地下鉄半蔵門線に乗車し、渋谷に向かうことにした。
と思ったが、渋谷にはこれといった用事はないので、ひとつ手前の表参道駅で下車した。
表参道駅は、地下鉄銀座線と地下鉄半蔵門線がホーム2面4線を方向別配線で共有しており、同一ホームで乗り換えが可能である。
12月ではあるが、先日収穫したばかりのスイカを利用して改札を出て、B1の出口から地上に出てみた。お洒落な街である。(※個人的な感想です)
右手には、東京都千代田区から神奈川県の内陸部を通り、静岡県沼津市に至る国道246号が通っている。起点の三宅坂から、赤坂、青山、表参道を経て渋谷に至る区間は、通称「青山通り」で知られる通りだ。
人の流れに沿って、渋谷方面に歩道を歩いてみる。
直ぐに、左手には青山学院大学が見えてくる。どうやら、新棟の建設中である。
青学大の正門はスルーし、塀に沿って左方向に進んでみた。
少々歩くと、青山学院高等部が見えてきた。こちらも工事中であった。


 


青山学院高校といえば、アタシのやっつけ調査では、県立岐阜高校と並び野球部は日本最古の歴史を持っています。
青山学院高等部は厳密に言うと1950年(昭和25年)の設立となるのでしょうが、青山学院という大きな括りで尋常中等部等々を含めて考えると、1883年(明治16年)が創立とされており、その頃にジェームス・ブラックレッジ氏が学生に野球を教えており、そこが野球部の起源とされているようです。
創部の考えは、数人の生徒が野球の練習をしていた時期に遡って創部としたり、学校の承認を受けて創部としたり、学校によって多少の違いがあるようです。
青山学院高校は、甲子園出場こそありませかんが、夏の東京予選には1916年(大正5年)の第2回大会から参加し、通算成績は80勝92敗、ベスト4進出が2回です。


 


参考までに、文字数稼ぎの為に創部の古い学校をある程度以下に繰り返し記述しておきます。(※ラボーラ非公認)



1895年(明治28年)
関西高等学校(岡山)
埼玉県立熊谷高等学校
新潟県立新潟高等学校
三重県立津高等学校
福岡県立修猷館高等学校


1894年(明治27年)
沖縄県立首里高等学校
秋田県立秋田高等学校
郁文館高等学校(東京)
滋賀県立彦根東高等学校
京都府立洛北高等学校


1893年(明治26年)
広島県立福山誠之館高等学校
北海道函館商業高等学校
愛知県立旭丘高等学校
大阪府立北野高等学校
島根県立松江北高等学校


1892年(明治25年)
同志社高等学校(京都)
愛媛県立松山東高等学校


1891年(明治24年)
茨城県立水戸第一高等学校


1890年(明治23年)
山形県立山形東高等学校
福島県立安積高等学校


1889年(明治22年)
広島県立広島国泰寺高等学校
学習院高等科(東京)


1883年(明治16年)
青山学院高等部(東京)
岐阜県立岐阜高等学校


 


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以上です。

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