☆第100回大会の優勝校から逆さにたどる旅~水戸一高~

記念すべき第100回大会の優勝校から敗れた高校を逆さにたどると、以下のようになる。

 

【全国高等学校野球選手権大会】

大阪桐蔭 →金足農 →日大三 →下関国際 →木更津総合 →興南 →土浦日大

 

【茨城予選】

土浦日大 →常総学院 →水戸商 →藤代 →下妻一  →水城 →水戸一 →友部

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

   

 

 

水戸と郡山を結ぶ水郡線の水戸駅近くは、かつての水戸城の堀を利用している。水郡線をまたぐ本城橋を渡ると、水戸城本丸の跡地に建てられた水戸一高があり、敷地内には薬医門がある。

薬医門は、水戸城の現存する唯一の建造物で、安土桃山時代の城主・佐竹氏が建てたものをそのまま受け継いだ。堀も佐竹氏が作ったもので、校内に残る土塁も安土桃山時代のものである。

水戸城は土城と言われ、土だけで防衛を図っていた。徳川御三家の城にも関わらず、天守閣も石垣も作らなかった。理由は、水戸藩は「すでにあるもの」の再利用を進めたからだ。ある年、水戸藩は8,742両の収入に対し、18,660両の大赤字を記録した。借金もあり、2,300両もの利息を支払っていた。水戸藩は、江戸城との行き来が多い二重生活となり、生活コストが高くついたことも背景にある。

~ブラタモリ #61 水戸 より一部引用~

 

 

 

 

 

 

水戸城本丸の跡地にある水戸一高は、1878年(明治11年)に茨城師範学校予備学科として設立された県内随一の歴史を有し、例年東大合格者を十数名輩出している県内トップクラスの進学校である。

野球部の歴史も古く、1891年(明治24年)に創部された。これは、関東の公立高校で最も古い歴史である。「学生野球の父」と呼ばれる飛田穂洲は同校(水戸中)野球部のOBである。

甲子園には夏のみ3回出場し、通算成績は0勝3敗である。

夏の予選には、県内では竜ヶ崎中(竜ヶ崎一)、土浦中(土浦一)、茨城商(水戸商)、下妻中(下妻一)、茨城中(茨城)、太田中(太田一)に次いで、石岡農(石岡一)、水海道中(水海道一)とともに、1925年(大正14年)第11回大会予選(関東大会)に初参加した。結果は、銚子商に 3 - 4 と惜敗であった。

夏の予選初勝利は、翌年の第12回大会予選(関東大会)で、千葉中(県千葉)に 10 - 3 で勝利した。続く試合も、成田中(成田)に 9 - 0 で勝利し決勝に進出した。決勝では、千葉師範に惜しくも 7 - 8 で敗れた。

夏の予選通算成績は160勝90敗1分、優勝3回、準優勝2回である。

秋季関東大会には2度出場し、最高成績はベスト4、通算成績は1勝2敗1分である。

 

 

伝統ある水戸一高の甲子園復活に期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

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