☆第100回大会の優勝校から逆さにたどる旅~水戸商業~
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鶴丸 深志’
2018年11月24日 15:31 visibility3588
記念すべき第100回大会の優勝校から敗れた高校を逆さにたどると、以下のようになる。
【全国高等学校野球選手権大会】
大阪桐蔭 →金足農 →日大三 →下関国際 →木更津総合 →興南 →土浦日大
【茨城予選】
土浦日大 →常総学院 →水戸商 →藤代 →下妻一 →水城 →水戸一 →友部
茨城の近代建築に大きな足跡を残した建築家・駒杵勤治(こまぎね きんじ )の作品のひとつに、水戸商業旧本館玄関がある。
水戸商業の敷地南東の一角に、桜色の外壁で二つのドーム形の屋根をのせた木造平屋が立つ。1904年(明治34年)4月に造られた、小さいながら存在感のある洋風建築だ。
建物裏の説明文には「ベルサイユ宮殿を模したロココ様式」と書かれている。現在は、野いばら館と呼ぶという。
水戸商業は1902年(明治35年)に茨城県立商業学校として創立された歴史を有し、全国の商業高校の中では偏差値上位層の55を誇る。通称は水商(すいしょう)である。
サッカー部は、インターハイでは優勝1回、準優勝1回、4強2回、冬の選手権大会では4強1回の戦績を誇る。
野球部は1905年(明治38年)に創部され、県内では水戸一、土浦一、太田一、水海道一、水戸農、竜ヶ崎一、下妻一に次ぐ伝統を有する。甲子園には春夏合わせて15回出場、春夏通じて県勢として甲子園初勝利を挙げ、春のセンバツ大会での準優勝1回、さらには、野球部OBの石井藤吉郎氏、豊田泰光氏が野球殿堂入りするなど県内屈指の名門校である。
また、1942年(昭和17年)に当時の文部省の主催で開催された、所謂、「幻の甲子園」に出場。この大会では、先ほど記述した大型左腕の石井藤吉郎氏を擁し8強入りした。
ユニフォームは純白、胸に筆記体で「Mito」と書かれた明治大学スタイルのユニフォームである。
水戸商業が夏の全国大会予選に初めて参加したのは第3回大会予選(関東予選)で、この予選には東京から慶応普通部(慶応)、早稲田実、早稲田中(早稲田)、荏原中(日体大荏原)、麻布中(麻布)、立教中(立教新座)、成城中(成城) 、明治学院中(明治学院)、大成中(大成)、高輪中(高輪)、豊島師範の11校、神奈川から横浜商、神奈川一中(希望ヶ丘)の2校、茨城からは他に竜ヶ崎中(竜ヶ崎一)、土浦中(土浦一)が参加した。
結果は、初戦で立教中に 7 - 3 で勝利し予選初勝利を挙げた。 続く準々決勝では、横浜商に 2 - 4 で敗退となった。
サッカー、野球の古豪・水商復活に期待したい。
以上です。
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