☆ユニフォームの記憶~市岡高校~
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鶴丸 深志’
2019年06月22日 23:54 visibility2344
1995年(平成7年)の第67回選抜高等学校野球大会は2ヶ月前に阪神大震災があり、開催が危ぶまれた大会であった。
この大会、アタシは前年秋の愛媛県大会から5試合連続完封、準々決勝の三島高校戦ではノーヒット・ノーラン、四国大会決勝の高知高校戦では17奪三振、四国大会で計41個の三振を奪うなど「伊予の怪腕」と称された藤井秀悟投手を擁する文武両道の伝統校・今治西高校に注目していた。
初戦の富山商業戦をテレビで観戦した。切れのいい球を低めに集め三振10個を奪う快投で完封勝利を飾った。長身でスラッとした体型をイメージしていたので、少々ずんぐりむっくりした体型には驚いた。
しかし、藤井秀悟投手以上に興味を持ったのが市岡高校の三本線が入った帽子であった。
市岡といえば三本線。
市岡といえば夏の予選皆勤校。
春夏通算21度の甲子園出場を誇る市岡高校、他校の帽子とは明らかに一線を画した形状の三本線に伝統と風格を感じる。
1916年(大正5年)の第2回全国中等學校優勝野球大会出場を機に、それまでの二本線から、大阪市内で3番目にできた旧制中学校を示す三本線に変更されたという。
着用は公式戦、他府県の高校との試合、府内での定期戦(港、天王寺、北野、八尾、明星)に限られるという。
この三本線は変わらないで欲しい、いや、これからも変わることはないであろう。
以上です。
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