☆待ちに待った予選皆勤校が夏の甲子園に出場~米子東~

1915年の第1回夏の大会予選には全国から73校が参加した。その後、1度も欠かさず予選に出場し続けている学校が15校ある。

永い年月の間には部員不足などで出場辞退を余儀なくされた学校もあれば、統廃合で消滅してしまった学校もある。その中で、以下の15校は伝統を守り続けている。

 

【愛知】旭丘高校、時習館高校

【岐阜】岐阜高校

【京都】西京高校、山城高校、同志社高校

【大阪】市岡高校

【兵庫】関西学院高等部、神戸高校、兵庫高校

【和歌山】桐蔭高校

【鳥取】鳥取西高校、米子東高校

【島根】大社高校、松江北高校

 

 

 

ラボーラで夏の予選皆勤校の話題が出始めたのは2009年2月頃でしょうか? 

その年、関西学院が70年ぶりに夏の甲子園に出場したが、70年ぶりのインパクトが強すぎてか予選皆勤校としてはあまり話題にならなかったと記憶している。そういえば、前年の夏にも鳥取西が出場している。

その後、ラボーラでは夏の予選皆勤校が徐々に浸透し、今日では「大社が有力だ」「大社と米子東のW出場だ」など予選皆勤校の話題で大変な盛り上がりを見せている。(やや嘘)

そして本日、鳥取大会決勝で米子東が、元広島カープの左のエース川口和久や阪神タイガースの左のエース能見篤史を輩出した山陰の名手こと鳥取城北を熾烈なシーソーゲームの末、 6 - 5 で制し、28年ぶり14回目の夏の甲子園出場を決めた。

 

【鳥取大会決勝】 

   鳥取城北
   102 001 010 =5
   201 000 12× =6
   米子東

 

米子東は1899年(明治32年)に鳥取県第二中学として創立された歴史を有し、偏差値は普通科生命科学コース69、普通科普通コース66を誇る県内屈指の進学校である。地元では「べいとう」の愛称で親しまれている。

野球部は1900年(明治33年)に創部され、県内では鳥取西に次ぐ歴史を有する。米子東と鳥取西の対戦は「山陰の早慶戦」とも言われている。

第1回夏の全国大会予選(山陰大会)では、初戦で鳥取中(鳥取西)に 5 - 12 と大敗を喫した。

夏の予選初勝利は第2回大会予選(山陰大会)で、杵築中(大社)に 7 - 6 で勝利した。この年は決勝に進出したが、またしても鳥取中に 1 - 13 と大敗を喫した。

夏の予選通算成績は175勝94敗2分である。

甲子園には、春9回、夏13回出場し、春夏通算成績は16勝22敗である。

甲子園最高成績は、1960年(昭和35年)第32回春のセンバツ大会の準優勝で、これが春夏通じて山陰地区唯一の決勝進出となっている。

 

 

 

米子東は今春のセンバツ大会にも出場したが、以下はwifeと一緒に5分程度テレビ観戦していた際の会話である。

wife:「みんな毬栗頭だけど、米子ってどこ?」

me  :「鳥取。」

wife:「やっぱり、みんな田舎の高校生って感じ。マークも黄緑で虫みたいだし。」

me  :「黄緑は関係なくね~。ここは学校も野球部も明治時代にできた伝統校で、夏の予選は第1回大会から皆勤賞だぞ。」

wife:「ピンと来ない。」

me  :「偏差値は70近くあるよ。」

wife:「えっ、そんなに頭良いのに野球も強いんだ。すごい!」

me  :「夏もきっと甲子園に出るよ。」

wife:「すごい、私も応援しよう!」

(こうして浮動票を1票獲得しますた)

me  :「米子東の試合を杉本真吾が解説すると思う?俺はしないと思うけど。」

wife:「はぁ?杉本真吾って誰?」

 (マニアックな会話で強制終了)

 

 

待ちに待った予選皆勤校が夏の甲子園に復活した。甲子園での活躍に期待したい。

 

令和最初の甲子園出場おめでとう!

 

 

 

〈追記〉

~朝日新聞デジタルより~

優勝が決まる。マウンドに選手が集まって「歓喜の輪」ができる。高校野球でよく見られる光景だ。が、最後の打者をアウトにし、優勝を決めた米子東の選手たちは、歓喜の輪をつくることなく、ホームベース付近で相手と向き合って整列した。一礼し、仲間より先にライバルの鳥取城北の選手と抱き合い、握手を交わした。喜びを爆発させたのは、校歌を歌い終え、スタンドへあいさつに行くときだった。

米子東にとって、夏の甲子園は1991年以来28年ぶり、春夏連続出場は1960年以来実に59年ぶりのこと。校歌を歌いながら涙する選手もいた。うれしくないはずがない。

なぜ、整列を優先したのか。福島康太主将の答えはシンプルだった。「普段から、相手に敬意を払えるチームでありたいと思っています」

鳥取城北とは、昨秋、今春も県大会決勝で戦い、1勝1敗。甲子園行きの切符をつかむには倒さなければいけない相手だった。

それでも福島主将は「相手を敬う姿勢が、野球にもつながると思う」。練習、勉強、私生活、そして相手への敬意。突き詰めてきた高い意識が、甲子園につながった。

 

 

 

 

 

以上です。

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