成り行きには意味がある
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フエンテ東久留米
2017年05月26日 22:37 visibility10
ご無沙汰しております。
志藤です。
学生時代、付き合っていた女の子が、僕に聞いたことがある。
「将来、何がやりたいの?」
「…喫茶店…でもしながらぼんやり…かな…」
「ふーん」
その頃、完全にやりたいことなどなかったのである。
当時、僕は、学業では社会福祉を学びながら、子供にサッカーを教えつつ、音楽を奏でていた。なぜ社会福祉を学ぼうとしたのかは、分からない。
時は2011~2012年、FCバルセロナではシャビとグアルディオラが芸術を完成させ、なでしこJAPANはW杯で優勝。東北では大きな震災があり、僕はといえば、コロラドでしこたまのクラフトビールに呑まれ、ウイニングイレブンでは無双、モテキを見ては、長澤まさみに瀕死にさせられていた。
僕の志していたソーシャルワーカーの仕事は、困っているクライエントを社会資源と結びつかせ、より良い暮らしが出来る様、支援することだ。その職の幅は物凄く広かった。
僕も、一年ほど高齢者の施設に送られたことがある。当時、在学中で資格がないのに、そこでワーカーとしての就職のお誘いまで頂いた。そこでは、現実を面と向かって見せつけられたのを覚えている。正にそこは現場だった。
僕は思った。社会は人を救えない。と。建前の綺麗事は古代のことの様にも感じた程だ。それでも、人を救えるのは人だけだと感じたことを覚えている。社会ではない。そして、社会がいけないわけでもない。
現実はただの現実だった。現実に期待していた自分がいけないのだ。現実が自分であり、自分が現実なのだ。
そして、現実はけっして真実ではない。真実だけを、本物だけを見ようと決心した。と思う。それ以外には意味がないと思った。
つまり、これは自分がやることではないと思ったのである。
当時、唯一、入りたいと思った会社があった。その会社はアウトドア製品の会社で、環境に訴えかける姿勢や、一生使える物を作るという精神が本物に近いと思った。
この会社はソーシャルワークをしていると僕は思った。翌年、アメリカの本社にまで足を運んだ程だ。偶然にも、中学生の頃、自分で初めて買った古着もこの会社の物だった。
全く畑違いのこの会社の求人に応募し、書類審査、集団面接まで通ってしまった。中には、何回もの応募を経て採用となるこの会社の信者もいる。いっしょに面接を受けた人物の中には50代程で管理職をしていた者までいた。僕は、面接で、子供にサッカーを教え、音楽をして、コロラドでヒッピーと酒を呑んで泥酔しトイレに携帯を詰まらせた話をしただけだった。
正直、焦ったのを覚えている。この会社に入って、自分がどう立ち回りをすれば良いのか全く念頭になかった。正直にそれを打ち明けた。最後の面接の後、上司に言われた言葉は「もっと遊んで来い」だった。
その後、自分は何者なのかということをよく考えたと思う。今でも考えているけれど。
その時、HELLOW//TEXASというTシャツ屋の店主、三好さんに言われた言葉が始まりだったかと思う。
アパレルやくざと言われるその人。アパレル関係の人でも半端者は来ない。Tシャツのほとんどは¥10000以上。しかも、あのホンマタカシがノーギャラで写真集を撮ったという知る人ぞ知る店である。僕は三好さんにとてもお世話になった。何故か波長が良く合った。
「たかが雇われの身に憧れてたらそれまでの人間だよ。志藤は東久留米で子供にサッカーを教えて、音を鳴らして来たんだからそれで良いんだ。自分の生まれた家を守って畑を耕すのはそこで生まれた奴以外にいないんだから。俺みたいに土地を捨てて東京に来ている人間が野暮なんだ。」そんなことだったかと思う。優しかった。
当時、周りはどこに就職するか、あっちかそっちか、そんなことで溢れていた気がする。僕は、どんな人間になりたいかばかり考えていて、そんな荒波に適応できなかったんだと思う。今でもそうだけれど。そんな時に、唯一、肯定し背中をぶっ叩いてくれたのは三好さんだけだった。
そして、僕はコーヒーを始めた。
人とお茶をする。
僕にとっての 福祉/しあわせ とはそうだったからである。
そして、奇しくも、あの時、「将来、何がやりたいの?」そう聞いて来た彼女とお茶をしていた店の場所を継ぐことになった。
もちろん東久留米だ。
これも巡り巡って不思議な縁だ。
この夏、東久留米に一店のコーヒー屋ができる。
一杯の珈琲で何ができる。
一杯の珈琲でどんな話ができる。
一杯の珈琲で何かをかえる話をしない。
なんでもできるよ。
EAST END WHITE~coffee~この夏、OPEN。
--東久留米市本町1-6-24--
詳細、近日、発表。
というわけで、右近さんからの優しいビューティフルパスにOPEN日を載せられていないという状況で大変に申し訳ありません!...まことに全て、僕の決定力不足の致すところでございます...。QBK(急にボールが来たby柳沢)。
現在、OPENまで最終の準備をしております。先日は、この状況下で体調を崩し、人生初の胃カメラをがぶ飲みして来ました。無事、"ストレス"ということで胃の方は方が付き、安心して良いんだか悪いんだか分かりませんが、来週は血液検査の発表です。はい。OPENまで無心で準備します。
そして、現在、店が開店するまで、フエンテの活動をお休みさせて頂いております。
チームのみんなが必死に頑張っているなか、自分もしっかり身の回りのことを整理し、再度、フエンテでプレーができるよう今を駆けていこうと思います。
32番、志藤でした。
次は、同じ専攻の後輩。俺みたいになるなよー。というわけで、はやと!よろしく!
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- 事務局に通報しました。
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