八幡商放浪記おまけ〜近江に落ちた一粒の種

  • 仲本
    2013年05月07日 22:14 visibility270

後篇より先におまけってなんやねん。変則ですが、前回の続きです。

 

明治38(1905)年2月のこと。近江八幡の駅に一人のアメリカ人青年が降り立ちました。前回日記で触れましたが、駅は町の中心からかなり離れたところにあり、当時は田畑のまん中に立っている有様でした。目の前は近江盆地の冬景色です。

 

「独り、寒く、悩み多し、ホームシック。なのにここにいる」…、

 

到着その日の日記にそう綴った青年の名はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。海外でキリスト教を伝道する意志を持っていた彼に、日本行きの話が舞い込んだのは24歳の時でした。滋賀県の商業学校が英語教師を求めているとの仲介をうけ、アメリカから単身やってきたのでした。

 

商人の子弟が通う学校です。海外との商いを広げたいという志を持った者もたくさんいました。そのためには外国人の言葉や習慣、思考を学ぶべし。早くから英語など外国語教育には力を入れていたそうです。

 

ヴォーリズはさっそく自宅に学生たちを招き、聖書講読を始めます。

たまげたのは学生たちの親の世代でした。「立派な商人にするために学校にやったのであって、宗旨がえさせるためではない」、わずか2年で教職をクビになってしまいます。さて、どうするか。

 

ヴォーリズは大学で学んだ知識を生かし、教会施設の設計建築の依頼を受けるようになりました。芸は身を助ける、でなんとかお金は工面できそうです。

 

彼の関わった建築物は1000とも2000ともいいます。同志社、関西学院(皆勤校(^_^;))といった学校の校舎なども手がけ、そのたたずまいに魅了される建築ファンもたくさんいるのだとか。

 

根っからの伝道者であるヴォーリズは事業で入ったお金を「神の理想を地上に実現するため」ほぼ使ってしまいます。貧乏暇なし。東奔西走する彼の前に、やがて最大の理解者が現れます。妻となる満喜子でした。華族の地位を捨て、青い目の風変わりな事業家に嫁いだ令嬢は移り住んだ近江で新生活を始めますが…、

 

きりがないのでこのあたりにしますが、なんだか今すぐNHKの朝ドラにでもなりそうな話が琵琶湖のほとりに埋まっていたのでした。おそるべし、近江八幡!

(映像化の最大の難点は配役にケント・デリカットくらいしか思い浮かばないこと)

 

町の一角にヴォーリズの像が立っています。向かい合う少女の手には花を挿せるようになっており、この日も花が捧げられていました。夕方に訪れたので草花がふにゃっとなっています(^_^;)。

 

さて、脱線はこれくらいにして、放浪記に戻りましょう。

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