☆`たまにはまねしてみる~関西の歴史の扉

  • 仲本
    2013年08月11日 13:04 visibility428


(現在のミズノ大阪店は淀屋橋の南側にある)
毎日新聞の大阪地域面に不定期で連載されている「豊中運動場100年」という記事がなかなか面白い。8月3日の朝刊の記事から紹介したい。なお、地域記事だが毎日新聞のサイトから閲覧できる。

豊中運動場、といえばもちろん大正4(1915)年、夏の甲子園の第一回大会が開催された場所のことだ。

さかのぼること2年前、大正2(1913)年夏のこと。新聞に関西学生連合野球大会開催決まる、という記事が載った。
「出場希望団体は来たる十八日までに…(中略)…大江橋北詰美津濃運動具店宛申し込むべしと」
大会の主催は美津濃運動具店、現在のミズノだった。細かい話だが店の場所が現在と中之島をはさんだ反対側だったことがわかる。

当時中等学校の野球大会はまだ珍しかった。美津濃の店主・水野利八は「せっかく豊中といういいグラウンドができたのだから、日頃道具を買ってくれる選手たちにそこでプレーしてもらいたい」と大会を計画したという。

大会の詳細を企画したのは、当時市岡中学から早稲田大に入学したばかりの若者だった。名を佐伯達夫といった。後に日本高野連会長となって君臨する男だ。「中等学校野球の全国大会」の構想の芽はここに生じた。

参加を申し込んだチームは20校を数えた。

四條畷中
八尾中
関西学院
市岡中
平安中
伊丹中
北野中
東寺中
京都二中
御影師範
京都中
大阪商業
明星商業
滋賀師範
桃山中
明石農学校
今宮中
天理中
天王寺中
京都第一商業



仲本さんはこのうち何校訪れたのかしら?
(´・ω・`)


以上です。


(創部間もない大阪・市岡中学のユニフォーム。当時、帽子は二本線だった)













































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