900冊記念〜「甲子園90年」ゆかりの学校

  • 仲本
    2014年08月24日 08:43 visibility1361







阪神甲子園球場は1924年に開場し、今年で90周年を迎えた。開場まもなく開幕したその年の中等学校野球大会の開会式において、先頭で入場してきたのは、前年度優勝校である兵庫・甲陽中学だった。

そういった縁で、今年の夏の甲子園の開会式の行進の先導は、その後身の甲陽学院高の野球部主将が務めた。



甲陽学院は戦前に春8回夏4回の全国大会出場歴があり、後に野球殿堂入りした別当薫などが出ている。なんといっても一度は全国優勝して球史にその名を刻んでいる。れっきとした古豪なのだ。










今年の放浪記の主役(?)スタルヒン投手の評判を聞きつけて家族丸抱えで引っ越しさせ、一度は入学させるなど、昨今の野球学校ばりの明らかな引き抜きすらやっていた(その後、兵庫、旭川双方で「それはさすがにどうなのか」という声が高まって結局旭川に戻ったという)。



今では移転しているが、学校自体が甲子園球場の隣にあった。というより、球場のほうがあとからできたのである。



兵庫の秋の高校大会の日程を見ると、たまたま甲陽学院の試合が夏の甲子園の休養日の23日に組まれていた。鳴尾浜臨海球場で11時30分開始とかなりの好条件。これは行ってみるべし。仲本さん、ちゃんと調べてたのね。



阪神甲子園駅からいつもとは違って鳴尾浜行きのバスに乗る。



言い忘れていたが、甲陽学院は今では中高一貫で、関西でも超がつく進学校。わたしが小さい頃にはすでに受験難関校として有名で、野球に関してはむしろ「弱くても勝てます」に近いと思われる。



今年の夏は数年ぶりに初戦を突破、秋の大会も一回戦は勝っている。はたしてどんなもんか。






























































ユニフォームは白と黒(濃紺?)基調で、胸にKOYO、左袖にNISHINOMIYAの文字。ストッキングは上部が黒、下部が白のツートーンで、白ラインが一本入っている。伝統校らしいシンプルなデザインだ。



この日は伊丹西高との対戦。心配された立ち上がりを0に抑えると、2回には三塁打と犠飛で一点を先制する。



しかし試合は中盤以降、伊丹西が優位に進めた。4回に同点に追いつくとその後は着々と加点。甲陽のエースは8回まで粘りの投球を続けたが4失点、9回にセンターから投手に回ったリリーフが2点を失い、結局6ー1で伊丹西が勝った。


















伊丹西の投手は背番号2だから本職の投手ではないのだろう。それでも甲陽打線は速球に押されて、おそらくヒットは散発で3、4本だったと思う。

守備のほうは外野手がやや危なっかしい感じもあったが、この日は守備の乱れでやられたわけではなかった。



普通です。



試合を見ていると父母会の方がお茶とかいろいろ持ってきてくれた。ありがたく頂戴する。

「失礼ですが、OBの方でしょうか?」



甲陽OBに見えますかそうですか

(`□ω□)*キラ



もちろん!

縁もゆかりもないです(小声)



…ついでなので、ちょっとチーム事情を聞いてみた。

新チームの二年生の代は9人に全然足りないが、一年生が14人いるので頑張ってほしい。

受験対策で三年生の夏前にやめる子もいるが、今年の代は8人が夏まで続けてくれた。

小学生の頃からどっちかというと勉強一本だった子ばかりじゃないんですか、と聞くと、それでも半分くらいは少年野球上がりの子がいるのだそうな。



夏の甲子園はまだ会期中だが、そこから歩いてでも行ける場所ではすでに秋から春への戦いが始まっている。



近くて遠い甲子園。



甲陽学院はこれで敗者復活トーナメントに回ることになった。





















































(横断幕には「目指せ2度目の全国制覇」とある。夢は大きいほうがいい。)



甲陽学院の試合が終わって、次の学校が入れ替わりに入ってきた。甲子園でもおなじみのユニフォーム。報徳学園だった。










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