ファンタジスタ幻想曲� −中田英寿編−

  • 2007年06月12日 05:04 visibility2613


1.中田英寿の闘うもの

96年のアトランタ五輪に最年少で出場する19歳の中田英寿は当時こう言っていた。
「サッカーはそんなに好きじゃないし、あんまり深く考えてません。サッカーをやっているのは、今の僕にはそれが一番お金になるからで、他にお金が儲かる方法があればそっちへ行きます。」


これを知った時、1歳年上の私はなんて生意気な奴だ、と思った。
同じサッカーをプレーする者の代表として五輪に出場できる幸せをまるで感じていない傲慢な態度に腹立たしさすら感じた。

中田擁するアトランタ世代は、マイアミの奇跡と呼ばれるブラジル戦の勝利を始め、2勝1敗ながら3位、惜しくも予選通過はならなかったが、ロンリーウルフと呼ばれる孤高の天才、中田英寿に脚光が集まるには十分な活躍だった。

ところが、そんな印象を一変させたのが、98年フランスW杯アジア地区最終予選、ホームでの韓国戦での彼の一つのプレーだった。あの、山口の芸術的ループにより1点先制したにもかかわらず韓国の執念の追い上げで逆転負けした屈辱的な試合である。
韓国DFのハードマークを受けた中田は、中盤左サイドでボールを受けると、マーカーの激しいボディコンタクトをそれ以上のフィジカルで弾き飛ばし、尻餅をついた韓国選手を横目に、逆サイドの右SB名良橋へ大きな寸分違わぬサイドチェンジのパスを通したのである。
私はこの闘志溢れるプレーに、クールさを装う中田の、言葉とは裏腹の熱いハートとチームの勝利のためにプレーするマインドを感じ取ったのだ。

天邪鬼な奴だ、と思った。
本当は誰よりもサッカーに対し情熱的で、日本の勝利のために闘うマインドを持つ男が、自分の意に反して、わざと挑発的な発言をして周囲の気を引こうとする。あるいは、逆に防御網を張ろうとする。あえて嫌われようとしているように思えたのだ。お前は何と闘っているんだ?何に抗おうとしているんだ?
その時は、私も若く、それが何なのか分からなかった。

2.欧州での飛躍

その後中田は、運命のジョホールバルを経て、98年フランスW杯での活躍が認められ、ついにイタリアセリエA、ペルージャに移籍を果たす。

イタリアでの活躍は痛快だった。
欧州では通用するはずがないと言われた日本人が、イタリアのピッチの上で他の誰よりも輝いている。固定観念に縛られた者たちの鼻を明かす痛快さ。
連日のように、中田がスポーツ紙の一面を飾り、テレビで生い立ちが特集され、書店に「中田本」が並んだ。

もちろん、その活躍は中田の才能だけではなく、彼の努力の賜物であるのは間違いない。
当たり負けしないフィジカルの強さ、ボールを追い続ける持久力、キラーパスと呼ばれた力強いインサイドキック、視野を確保するために背筋を伸ばし、ドリブルしながら首を振る。これらは、イタリアで通用せんがために、自らの創意工夫と努力で獲得した技術に他ならない。
中田は自分の頭で考え、努力する「ファンタジスタ」だった。


曲:Bond「Explosive」

3.突出する苦悩

中田は突出する海外経験をもつ選手として、シドニー五輪代表でも、A代表でも、帰国するたびにヒーローになった。
空港では帰国のたびにファッションチェックがされ、試合では中田のプレーに注目が集まる。まるで、ハリウッドスターの来日と、ロナウジーニョの個人技に注目が集まるみたいな雰囲気だった。しかし、中田はハリウッドスターでもないし、ロナウジーニョでもない。

中田はどの世代でも浮いていた。自分のレベルに周りが到達していないもどかしさをストレートにぶつけ、周りとの軋轢を生じさせてしまっているように見えた。メディアやファンの関心が中田個人に集まることでそれが加速した。

そんな浮いた中田を見ていて、私は気づかされた。中田の天邪鬼な言動の理由を。
自分にそんなに注目しないでくれ、サッカーは個人でやるスポーツじゃないんだ。俺を含めた日本代表の、サッカーそのものを語ってくれ。
中田は、日本メディアの、あるいは日本人の、サッカーとは必ずしも関係のない、個人のヒーローを追いかける体質、というか空気みたいなものと闘っていたのだろうと思う。
サッカーが、一人のピッチャーの活躍で勝利の大部分を握れる野球とは異なる特徴を持つスポーツであることを。

そしてそれは、セリエAにおけるクラブの命運をかけた壮絶な試合であろうと、日本代表におけるW杯というハイプレッシャーの中での死闘であろうと、周りの目を気にせずに、他人の意見に左右されずに、素直にサッカーを愛し楽しみたいという自分の中の素朴で純粋な気持ちを守るため、彼にとって、意識するにせよしないにせよ必要なことだったんだろう、と私は思う。

中田は、結局、最後のW杯のブラジル戦まで浮いたままだった。ファンタジスタという先駆者であるが故の苦悩だった。

4.一時代の終焉

私は、中田の引退とともに、日本サッカーの一つの時代が幕を閉じたと思っている。
これから、日本サッカーの「本物の時代」が訪れる、と思うのだ。
それはすなわち、個人のスターの活躍を見るためだけにスタジアムへ足を運ぶ時代が終焉を迎え、サッカーそのものの魅力を追求するコアなサッカーファンが次々に誕生する時代が到来した、ということを意味する。

生まれたときからJリーグを見ることができ、サッカーを体験して育つ子供たちは、サッカーをよく知っている。肥えた目を持つファンが増えれば、心を揺さぶるような「本物のサッカー」を見せなければ納得しやしまい。

それは、とりもなおさず、中田英寿という個人のスター選手が、自らの言動でファンの目を向け変えさせ、演出し、到来させた、新たな時代なのだと思う。

先日のキリンカップで代表の試合がガラガラだった、というニュースは一つの時代の終焉の象徴だった気がする。
この代表の試合を再び満席にするのは、ポスト中田という個人のスターの登場を待つことによってではなく(それはそれで構わないとは思うのだけれど)、サッカーそのものの持つ真の魅力を知る私たちを含めたサッカー関係者の、それを伝えようとする啓蒙の努力によって、でなければならないと思うのだ。

5.中田の本音

中田はやっぱりサッカーを愛していた。
それは、彼の引退表明文を読めば明らかだった。

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ
挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。 
                               (NAKATA.NET 引退表明文より抜粋)




















私は、この天邪鬼なファンタジスタの新たなる人生に期待して止まない。











































































W杯ドイツ大会ブラジル戦敗戦後の中田は、センターサークルの中に仰向けに倒れこんでタオルを被ったまま泣いていたように見えた。

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