☆消えた準優勝校~京都二商~

これまでに春の選抜大会で行われた試合数は2,169試合。夏の選手権大会で行われた試合数は3,202試合。
春夏合わせて5,371試合のうち、同一都道府県対決となった試合は、春17試合、夏4試合の計21試合。
同一都道府県対決21試合のうち、同一都道府県決勝対決となった試合は春の選抜大会で4試合あった。

1938年第15回選抜大会 愛知 中京商 1-0 東邦商
1941年第18回選抜大会 愛知 東邦商 5-2 一宮中
1948年第20回選抜大会 京都 京都一商 1x-0 京都二商(延長11回)
1972年第44回選抜大会 東京 日大桜丘 5-0 日大三

上記7校の中で、唯一甲子園に戻って来ることのない高校がある。その高校は京都二商である。
京都二商は1948年(昭和23年)の学制改革で、京都市立西陣商業高等学校と改称されたが、同年に高校再編で閉校となり、校舎は新制中学の京都市立北野中学校に引き継がれることとなった。
北野中学の正門は京都二商の正門のイメージのまま残されているようだ。また、現在の校舎も京都二商のイメージのまま配置されているようだ。


京都二商は1910年(明治43年)、京都市立第一商業学校の生徒数増加に伴い京都市立第二商業学校として開校された。
野球部は1921年(大正10年)に創部されたといわれている。
夏の予選には1921年(大正10年)第7回大会予選に初参加した。これは、京都府内では京都二中、京都一中、京都師範、京都一商、同志社中、京都美工、京都五中、立命館中、東寺中、京都染織、平安中、京都中、京都薬学、東山中、宮津中に次いでの参加であった。
初の予選は膳所中に 4-13 と大敗し苦い船出となった。
夏の予選初勝利は1923年(大正12年)第9回大会予選で、東山中に 8-4 で勝利した。
夏の予選初の決勝進出は1926年(大正15年)第12回大会予選であった。水口中、京都一中、京都二中、京都一商を破っての決勝進出であったが、東山中に 4-7 で敗れた。
夏の予選初の優勝は、1947年(昭和22年)第29回大会予選であった。立命館一中、大谷中、京都一商、京都二中を破り、決勝では彦根中を 5-2 で破りこの年の春に続き甲子園の切符を手にした。
夏の予選には24回出場し、通算成績は18勝23敗である。

1948年(昭和23年)の春、前述したように第20回選抜大会に出場した京都ニ商は、決勝で同じ京都の京都一商に惜敗したものの見事に準優勝を成し遂げた。
そして、この年の夏の予選は京都ニ商にとって『最後の夏』となった。学制改革で校名が西陣商業と改称されての大会であった。
奇しくも、初戦の相手は選抜大会決勝を戦った京都一商(西京商として参加)であった。結果は、2-3 で惜敗。同点で迎えた9回表に西陣商が1点勝ち越し、その裏、西京商が二死からの劇的な逆転サヨナラであったという。
現在では、春の選抜大会で決勝を戦った同士が、夏の予選の1回戦で再現となるのはシード制を採用していない大阪くらいでしょう?

この激闘を制した西京商はその勢いのまま甲子園の切符を手にした。一方、西陣商はこの年の10月に歴史の幕を閉じたのである。
北野中学校の校内には、京都二商の記念碑が建てられている。

 

この二本線は二商を意味しているのだろうか?
京都二商野球部の歴史を知る人には春の選抜大会二位、あるいは、閉校の年に繰り返された京都一商との二度の激闘にも見えるであろう。





以上です。

chat コメント 5

  • 恥ずかしながら、京都人ですが、京都二商の校地を北野中学が引き継いでいるとは知りませんでした。
    北野中学は我が母校立命館大学と割と近いので、何度も前を通ったことがあります。
    「えらい立派な公立中学やな。何かわけがあるんかな?」
    と漠然と思ったことはあるのですが、それ以上調べることはしていませんでした。
    ちなみに・・・我が母校立命館の中学と高校の深草学舎は近い将来、別の学校になります。
    伏見工業さんと洛陽工業さんが統合して移転してこられるのです。
    自分が学んだ教室で、別の学校の生徒さんが学ぶ・・・嬉しい様な、寂しい様な、複雑な気分です。
    でも、僕の父は伏見工業出身なので、ちょっと嬉しいかも。

  • こじっくさま

    > 恥ずかしながら、京都人ですが、京都二商の校地を北野中学が引き継いでいるとは知りませんでした。
    > 北野中学は我が母校立命館大学と割と近いので、何度も前を通ったことがあります。
    > 「えらい立派な公立中学やな。何かわけがあるんかな?」
    > と漠然と思ったことはあるのですが、それ以上調べることはしていませんでした。
    > ちなみに・・・我が母校立命館の中学と高校の深草学舎は近い将来、別の学校になります。
    > 伏見工業さんと洛陽工業さんが統合して移転してこられるのです。
    > 自分が学んだ教室で、別の学校の生徒さんが学ぶ・・・嬉しい様な、寂しい様な、複雑な気分です。
    > でも、僕の父は伏見工業出身なので、ちょっと嬉しいかも。


    京都二中も学制改革でいろいろありましたが、第一回夏の大会優勝とでは格が違うのでしょうね[d162]
    天気も良いし北野中学前のバス停からバスに乗って金閣寺にでも行こうかと思いましたが、凄く混んでいたので止めました(^^;;
    洛陽工業は、確か京都染織で夏の予選に初参加してるんですよね。いつか狙って見ます。

  • 未完の大器さま

    > 流石、松山大先生の高校野球に歴史的見地に立った日記には頭が下がります。
    > 京都二商の事は良くわかりませんが、第44回日大桜丘と日大三高の決勝戦は薄らと記憶に残ってます。確か日大三高は選抜連覇が掛った大一番でしたがその前に立ちはだかったのがジャンボ仲根、5対0と日大三高を寄せ付けない圧巻のピッチング、すごみさえ感じました。
    >
    > その準決勝で戦ったのが二回戦奈良工業、倉敷工業を倒した、青年監督竹田利秋監督率いる東北高校、雨の中最後まで2年生エース岡嶋(後の河合楽器)が好投したが日大桜丘にサヨナラ負け!この岡嶋投手の粘投を見て野球にのめりこんでいった幼少時代でした。
    >
    > その桜丘も第54回選手権大会では二回戦で高知商業にサヨナラ負け、その剛腕仲根投手も今はこの世にいません。
    >
    > これからも高校野球の歴史の重みを感じる熱闘日記期待しております。


    畏まりました。
    日大三といえば、第25回全国中等学校優勝野球大会東京予選で、優勝したのが帝京商、準優勝が日大三中でした。ところが、出場選手の資格違反があり両校とも甲子園出場辞退となり、早稲田実が出場したという珍事がありました。

    以上です。

  • 選抜で、枝分かれした兄校と戦い準優勝し、その決勝の予選初戦での再現というもうひとつのドラマを残して消えていった、この日記のためにあったような学校でしたね。
    いつか大阪代表がこのようなドラマを再現する日まで私も高校野球を見続けたいと思います。

  • 静岡の民さま

    > 選抜で、枝分かれした兄校と戦い準優勝し、その決勝の予選初戦での再現というもうひとつのドラマを残して消えていった、この日記のためにあったような学校でしたね。
    > いつか大阪代表がこのようなドラマを再現する日まで私も高校野球を見続けたいと思います。


    ホントに野球作家でも書けないようなドラマです。