
☆【Remake版】漢字一文字のユニフォーム 〜蕨高校観戦記〜
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鶴丸 深志’
2025年11月02日 00:00 visibility250
10月の半ば過ぎ、部屋の窓を開けたとたん、爽やかな秋の風がいっぱいの金木犀の香りを運んできた。ふとみると、すぐ前の公園の金木犀が満開になっていた。
「秋がきたのね」
あの甘い、そして、どこか懐かしい香りを嗅ぐと、秋の訪れを実感する。つい先日まで残暑が続いていたのに。アタシにとって、金木犀の香りは、秋の道標。
金木犀は、申し合わせたように、ある日一斉に香り出し、そしてある日、一斉に終わる。
そうこうしているうちに、今度は、風が冷たくなって冬の匂いがしてくる。
「短い秋」
「金木犀」の文字をよく見ると、難読植物漢字に思える。難読植物漢字といえば、「蕨」もそのひとつだろう。
蕨といえば、中山道の宿場町として賑わい、成人式発祥の地であり、全国一面積が小さく、全国一人口密度が高い市として知られている、埼玉県蕨市が思い浮かぶ。
蕨市には全国でも珍しい、「蕨」の漢字一文字ユニフォームの蕨高校がある。
ところで、「蕨」のマークは、横書きなのかしら? 縦書きなのかしら?
秋が深まる中、謎が深まる。
冬が始まる前に、その蕨高校の試合がどうしても観たくなり、川口市長杯争奪第42回高等学校硬式野球強化大会が行われる川口市営球場に向け、セカンドカーとして納車されたばかりのレクサスLBX“Elegant”を走らせた。
埼玉県立蕨高校は埼玉県蕨市に所在し、1957年(昭和32年)に町立埼玉県蕨高等学校として創立された県内有数の進学校である。
野球部は1957年(昭和32年)に創部され、ユニフォームはアイボリーホワイト、胸には漢字一文字で「蕨」のマークである。左袖には野球王国の証「埼玉」のマークが付されている。
夏の全国大会予選には、1959年(昭和34年)の第41回大会予選(西関東大会)に埼玉県勢としては、熊谷、県浦和 、県川越 、深谷商、埼玉師範、不動岡、本庄 、市川越 、所沢、松山、浦和商、豊岡、春日部、大宮、都北、大宮工、川口工、浦和商二部 、川口 、川越工、与野、浦和二部、市浦和、熊谷商、幸手桜 、町立志木、杉戸農、聖望学園、正明、岩槻商 、川越総合、熊谷農、鴻巣、進修館、秩父、秩父農工科学、羽生実、慶応志木、児玉、飯能、浦和西、大宮商 、小鹿野、 川口市立 、大宮北に次いで、上尾とともに初参加した。結果は、初戦で県浦和に 0 - 12 で敗退となった。
夏の全国大会予選初勝利は、1960年(昭和35年)の第42回大会予選(西関東大会)で、川口工に 2 - 0 で勝利した。
夏の全国大会予選通算成績は51勝66敗である。
試合の方は、平成の大エースと称される元読売巨人軍の斎藤雅樹投手の出身校で、夏の予選通算勝利数105勝、準優勝3回を誇る縦縞ユニフォームの川口市立を相手に、序盤から苦しい展開となり、2 - 9 の7回コールドで敗退となった。この結果、準決勝の対戦は、武南(前年優勝校)―川口工業、南稜―川口市立となった。
「想いある野球〜甲子園の心を求めて〜」
蕨高校の活躍を期待したい。
最後に、難読校を「日常生活では余り見かけることのない漢字で構成されている校名(地元の人を除く)」と定義した場合、東の横綱は匝瑳高校、あるいは揖斐高校かしら?
西の横綱は畝傍高校、あるいは頴娃高校かしら?
ちなみに、斐太高校も難読校ですが、「太」をよく見かけますので東の横綱にはなれませんですた。膳所高校も難読校ですが、「所」をよく見かけますので西の横綱にはなれませんですた。
蕨高校は東の大関かしら?
以上です。
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- 事務局に通報しました。

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