
創部120年を超える埼玉県最古の高校野球部 〜県立浦和高校観戦記〜
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鶴丸 深志’
2025年11月15日 09:00 visibility23
私が師と仰ぐ篠山先生の「才能の園浦和高校。浦和と言えば『うなぎのうなこちゃん』と『浦和ロール』でしょうか?」というコメントに触発され、筆を執ることにした。
埼玉県の中等學校で最初に野球が行われたのは浦和中學と熊谷中學で、ともに明治29年頃であった。
続いて、明治35年頃に粕壁中學、明治36年頃に不動岡中學で行われるようになったが、対抗試合はあまり盛んでなかった。
大正5年に初めて開催された第2回夏の全国大会関東予選には1校も参加していない。
大正10年の第7回大会関東予選に、浦和中學と熊谷中學が初めて参加している。しかし、埼玉県勢は良い成績が残せず、大正12年からは暫く予選に参加しなくなった。
大正15年から関東予選が南北に分裂したのを機に予選に参加するようになったが、群馬県勢の壁に阻まれた。昭和になると予選の組み替えで南関東予選に参加することになるが、今度は神奈川県勢の壁に阻まれ、夏の全国大会出場は昭和24年の第31回全国高等学校野球選手権大会に出場した熊谷高校と大きく遅れた。
埼玉県勢が初めて甲子園に出場したのは、予選のない春の選抜大会で、昭和6年の第8回選抜中等學校野球大会に出場した川越中學であった。
埼玉県勢が初めて甲子園で勝利を挙げたのは、昭和10年の第12回選抜中等學校野球大会に出場した浦和中學であった。
埼玉県勢として甲子園初勝利を挙げ、埼玉県最古の野球部であり、才能の園と称される全国屈指の進学校、泣く子も黙る名門中の名門として名高い浦和高校の試合が観たくなり、さいたま市民大会南部地区高校野球大会が行われる市営浦和球場(アイル・スタジアム浦和)に向け、セカンドカーとして納車されたばかりのレクサスLBX“Elegant”を走らせた。
埼玉県立浦和高校は埼玉県さいたま市浦和区に所在し、1895年(明治28年)に埼玉縣第一尋常中學校として創立された歴史を有する男子校である。校技はラグビーという。
野球部は1896年(明治29年)に創部され、埼玉県最古の歴史を有する。ユニフォームはアイボリーホワイト、胸には漢字の横書きで「浦和髙」のマーク。左袖には校章と野球王国の証「埼玉」の文字が付されている。
夏の全国大会予選には、1921年(大正10年)の第7回大会予選(関東大会)に、埼玉県勢としては熊谷ともに初参加した。結果は、初戦で下妻中(茨城)に 9 - 3 で勝利し予選初勝利を挙げた。
夏の予選通算成績は97勝101敗1分である。
甲子園には春のみ2回出場し、甲子園通算成績は1勝2敗である。
浦和高校は、1935年(昭和10年)の第12回選抜大会で、埼玉県勢として春夏通じて初となる甲子園勝利を挙げ、埼玉県高校野球史に輝かしい一頁を刻んだ。
浦和高校の甲子園初勝利に始まり、野本イズムを経て、今日の埼玉県勢は全国有数の野球王国に上りつめたのである。
試合の方は、2015年に小松原女子高校から校名変更、2018年から男女共学になり、同年に野球部が創部された埼玉で最も新しい野球部、浦和高校野球部との年の差が何と122年の浦和麗明高校を相手に、2 - 7 で敗退となった。
埼玉県最古の野球部、伝統ある浦和高校の飛躍を期待したい。
以上です。
- 事務局に通報しました。

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