☆【Homage版】普通の高校が起こしたひと夏の奇跡 〜市立浦和高校観戦記〜

私が崇拝してやまない、ラボーラの偉大な先輩であるBlack先生が書かれた「普通の高校が起こしたひと夏の奇跡」という、ラボーラ史に残る名作中の名作に触発され、恐れ多いと思いつつ筆を執ることにした。

 

あれは、1988年(昭和63年)の夏のこと。第70回大会の県大会はノーシード、チームの目標は県ベスト8、県内でもあまり注目されていないごく普通の公立校が、奇跡の甲子園出場を果たした。

それが、埼玉県代表の浦和市立高校(現・さいたま市立浦和高校)であった。
浦和市立は県大会のチーム打率が2割5分4厘、平均身長が171センチと、ともに甲子園出場49校中最低で、全国大会前は全く注目もされていないチームであった。ところが1回戦から準々決勝まで、佐賀商、常総学院、宇都宮学園(現・文星芸大付)、宇部商と甲子園ではお馴染みの強豪校を次々と破り、あれよあれよとベスト4に進出。準決勝では大会優勝校の広島商に敗れたものの 2 - 4 と善戦。あまりの奇跡的な勝ち上がりぶりと、どんなピンチでも選手たちが笑顔でいることから「さわやか旋風」と称された。
選手たちは無欲で勝ち進み、インタビューでも、
「僕らがこんな場所(全国の準決勝)に居ること自体がおかしいんです」
「ここまで来れたのは宇宙の何かがおかしくなっていたんでしょう」
「負けてホッとしました。このまま勝ち続けたら一生分の運をここで全部使い切ってしまうんじゃないかと思って正直怖かったです」
など、まさに選手たちも信じられない快進撃をしたのであった。

 

 

 

ひと夏の奇跡を起こした市立浦和高校の試合が観たくなり、居ても立ってもいられず、さいたま市民大会南部地区高校野球が行われる市営浦和球場に向け、セカンドカーとして納車されたばかりのレクサスLBX“Elegant”を走らせた。

 

さいたま市立浦和高校は埼玉県さいたま市浦和区に所在し、その歴史は1940年(昭和15年)に設立された「浦和市立高等女学校」に遡り、1943年(昭和18年)には男子校として「浦和市立中学校」が設立され、1950年(昭和25年)に両校が統合され現在に至る県内有数の進学校である。また、サッカー部は選手権大会優勝4回を誇る名門である。
野球部は1945年(昭和20年)に創部され、ユニフォームはアイボリーホワイト、胸には「URAWA」のマークである。
夏の全国大会予選には、1947年(昭和22年)の第29回大会予選(南関東大会)に埼玉県勢としては、熊谷、県浦和 、県川越 、深谷商、埼玉師範、不動岡、本庄 、市川越 、所沢、松山、浦和商、豊岡、春日部、大宮、都北、大宮工、川口工、浦和商二部 、川口 、川越工、与野に次いで、浦和二部、熊谷商、幸手桜 、町立志木、杉戸農、聖望学園、正明とともに初参加した。結果は、初戦で粕壁中(春日部)に 3 - 9 で敗退となった。

夏の全国大会予選初勝利は、1948年(昭和23年)の第30回大会予選(南関東大会)で、浦和中二部(県立浦和定時制)に 19 - 0 で勝利した。
夏の予選通算成績は101勝77敗1分、優勝1回である。

 

 

 

試合の方は、夏の予選通算勝利数200勝、優勝15回を誇る全国屈指の強豪である浦和学院(スタメンの背番号は全員二桁)を相手に、序盤は拮抗した試合であったが、中盤以降は苦しい展開となり、1 - 8 の7回コールドで敗退となった。

 

ごく普通の高校、市立浦和高校の飛躍を期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。