☆夏の予選皆勤校放浪記(リメイク番)~京都一商・西京商・西京~

1915年(大正4年)第1回夏の全国大会の予選に参加したのは、秋田中、横手中、秋田農、早稲田実、荏原中、日本中、早稲田中、慶応普通部、麻布中、立教中、成城中、山田中、斐太中、富田中、岐阜中、愛知一中、愛知四中、京都二中、同志社中、京都一商、京都五中、京都師範、京都美工、京都一中、立命館中、八幡商、滋賀師範、坂本中、神戸二中、関西学院中、神戸一中、御影師範、伊丹中、姫路師範、神戸商、和歌山中、市岡中、明星商、市大阪工、大阪商、八尾中、高野山中、耐久中、鳥取中、鳥取師範、米子中、倉吉中、杵築中、松江中、広島一中、広島商、修道中、福山中、明道中、関西中、高松中、徳島商、徳島師範、撫養中、香川商、大川中、丸亀中、三豊中、徳島工、徳島中、久留米商、豊国中、八女中、嘉穂中、中学修猷館、東山学院、福岡師範、伝習館中の73校であった。

その後、一度も欠かすことなく現在まで夏の予選に参加し続けているのは、旭丘、時習館、岐阜、西京、山城、同志社、市岡、関西学院、神戸、兵庫、桐蔭、鳥取西、米子東、大社、松江北の15校である。
73分の15が「伝統」を守り続けているのだ。

 

 

 

今回訪れたのは、京都市の旧・上京区の丸太町通り以南と旧・下京区の四条通り以北から分離してできた中京区に所在する、西京高校である。(お馴染みの写真)
西京高校は、1886年(明治19年)年に京都府商業学校として創立された伝統を誇る。
野球部は1908年(明治41年)に創部され、京都府内では(一部創部が不明確な高校を除く)、同志社、洛北、鳥羽、福知山、大谷、宮津、東山に次ぎ、龍谷大平安と並ぶ歴史を有する。
記念すべき第1回の夏の大会予選では、初戦で京都美工を 13-2 で破り予選初勝利を挙げた。しかし、続く準決勝では、京都二中に 1-8 で敗退となった。
夏の予選での初優勝は、1920年(大正9年)第6回大会予選であった。京都一中、同志社中、八幡商、そして、決勝では膳所中を 14-3 で破って全国の切符を手にした。
西京高校の夏の予選通算成績は、153勝96敗1分、優勝3回、準優勝8回、4強14回、8強11回である。

1920年(大正9年)第6回大会、初の全国の舞台では、1回戦で紀和の強豪・和歌山中を 5-1 で破り、全国大会初勝利を挙げた。続く2回戦では、山陰の雄こと鳥取中に 0-2 で敗退となった。
翌年の第7回夏の全国大会にも連続出場し、見事に決勝まで駒を進めた。決勝の相手は前年も対戦した紀和の強豪・和歌山中であったが、4-16 と大敗を喫し初の大旗に手は届かなかった。
春のセンバツ大会では、1948年(昭和23年)第20回大会において、小倉中、田辺中、北野中、そして京都対決となった決勝戦は、京都二商を 1-0 のサヨナラで勝利し、初の優勝を手にしている。
この年は学制改革により中等学校から高等学校になり、この大会は第1回選抜高等学校野球大会として開催された。しかし、数年後、大会の伝統を尊重する空気が強まり、中学大会時代から通算して数えることとなった。また、この大会は高校大会と呼びながら、出場校の校名は旧来どおりの校名が使われた。これは、旧校名の方がわかりやすかったことと、学校によっては新校名が決まっていなかったためである。
勿論、西京高校も旧校名の京都一商として大会に出場した。つまり、この大会は京都一商の校名が使われた最後の大会というわけだ。

 

この年の夏、第30回大会には新校名の西京商として出場し、金沢一、慶応、享栄商を破り準決勝に進出。準決勝ではまたしても桐蔭(旧・和歌山中)との対決となり、0-1 で惜敗した。
その後、1982年(昭和57年)第54回センバツ大会を最後に甲子園から遠ざかっている。
現在は校名が西京高校となったが、新しい校名で甲子園に出場する日は来るのだろうか?





以上です。

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