明治神宮野球大会その2・神宮と私

  • 虎男
    2017年11月14日 23:48 visibility324

昨日は第48回明治神宮野球大会の高校の準決勝2試合、大学の準決勝1試合を見に行こうと、朝9時に家を出て神宮球場へ。もう、何回この球場を訪れた事だろう。おそらく私の先祖が私をこの球場へ来いと言っているのかもしれない。私の先祖は徳川家の幕臣で直参旗本、過去帳を見ると鷹匠であったらしい。明治維新で徳川家の世の中は無くなり、私の家も働かなくてはならなくなった。外国から乳牛を仕入れ、日本で初の牛乳屋を始めたと言われている。このことは、明治学院大学の名誉教授である黒川なんとかさんと言う人の著書「東京牛乳物語」にいろいろ書いていて、この人も遠い私の親戚になるらしい。この神宮球場のある千駄ヶ谷に、私の曽祖父、祖父が牧場を経営していたのは、ものすごく昔の事。明治の終わりごろか、もしくはもうちょっと前のことかもしれない。しかし、神宮球場へ来る度に先祖が私を「子孫の中でお前だけがしょっちゅう、神宮のこの地に来るのは不思議な縁。お前の父も野球が好きだったが、戦争に行かされて青春時代を全て台無しにしてしまった。お前がこうして、野球を見に来るのも、お前の父の血がそうさせるのだろう。お前がこの球場に来ているのは、この地にお前が縁があるからだ。」と言っているような錯覚を常に起こす。私は千駄ヶ谷の地が好きだ。遠い遥か昔に千駄ヶ谷に先祖が作った牧場が目をつぶると見えてきたりする。そんな神宮と私の間には「小さなストーリー」がある。

 

昨日の第二試合。大会優勝をした高知県代表の明徳義塾高校の静岡高校との試合は、静岡が明徳を8回まで3-1でリードしていた。判官贔屓の私は静岡頑張れと言う気持ちが強く、このまま明徳が終盤に追いつきたいと言う気持ちが「焦り」につながってくれればと言う淡い期待を抱いたのだが、8回の明徳が同点のツーランホームランを放ったところから、俄然「流れが明徳へ行ってしまった」感が強い。静岡の先発投手は左のスリークォーターで、背番号10番、おそらく今の時期で言うと二年生の投手だろう。明徳義塾打線が1番から4番まで全員左打者と言う事も読んでの先発起用だったのかもしれない。しかし、左打者対策に起用された彼のピッチングが左打者よりも右打者の方にのびのび投げていた印象があり、むしろ上位打線の左打者の連続には「慣れが無い」ような感じで、投げ難そうなボールを置きに行くような投球だったような気がした。8回の投球は特にその感がぬぐえない。明徳は試合巧者だ。ホームランで同点においつくと、流れが来たことを選手が感じたのだろう。それまでの膠着状態から抜け出たように追加点を取った。第三試合の日体大対九州共立大の試合は5回を終わったところで神宮球場を後にした。ここでも不思議なことが起こった。それは、私が家に着くころに雨が降って来たのだ。私が家に濡れないで帰れるように先祖がそう仕向けてくれたのかもしれない。神宮球場を跡にしようとしたときに、球場外正面に作られていた特設テントに第48回明治神宮野球大会の記念グッズの売り場が設けられていた。そこで記念キャップを購入。1個1100円である。安い。即買いであった。また、来年も見に来れたら行きたい。

 

 

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