消えた球場番外 関西学院グラウンド

  • Mr.black
    2017年02月01日 10:15 visibility3111

久しぶりの「消えた球場」シリーズです。今回は正確には「消えたグラウンド」ですが。

 

ところで今回のグラウンド跡地はラボーラのとあるメンバーさんから教えていただいた場所です。しばらく更新されていませんが、この場にて御礼申し上げます。

こういう知らなかった情報が手に入るのもここに登録していればこそですね。

 

 

JR神戸線「灘駅(写真)」、または阪急神戸線「王子公園駅」から徒歩数分の所に神戸市立王子動物園があります。

 

 

この動物園及びその周辺はかつては関西(かんせい)学院の原田の森キャンパスがありました。同キャンパスが存在していたのは関学開校の1889年(明治22年)から1929年(昭和4年)までのことです。その後キャンパスは上ヶ原へ移転しました。

 

 

このリーフレットは関学開校125周年を記念して作られた「原田の森キャンパスガイドマップ」です。ここには関学存在時の地図と現在の地図が掲載されており、変遷の比較が出来るようになっています。

(このマップは隣接する「神戸文学館」内にあり、無料で持ち帰れます。)

 

 

↑ 原田の森キャンパス存在時の地図。移転直前の1929年の様子だそうです。

 

 

こちらが現在の地図。どちらも右側中央に広いスペースがあるのがお分かりでしょうか?

それこそが原田の森キャンパスがあった当時のグラウンドで、現在は王子動物園内の遊園地になっています。

 

 

遊園地入口の少し手前側にはこのように「グラウンド跡地」であることを示す銘鈑が設置されています。非常に小さい物なので注意しないと見落としてしまいそうです。30~40cm角程度の物でした。それでもこういう銘鈑が有るのと無いのとでは大きな違いがあります。

 

私は常々「球場やグラウンドの跡地にはかつての球場の写真と簡単な歴史を明示した看板なりプレートなりを作って欲しい。何も立派な物でなくてよい。後世の誰が見ても『昔ここにこんな球場があったのか』と容易に認識できる物であれば簡素な物でもよい」と主張しています。

近鉄の旧本拠地だった藤井寺や日生の跡地にはそれが欠けており、非常に残念かつ情けなく思っています。それに比べて関学は「跡地に何を残すべきかが分かっているな」、と感じました。

(藤井寺の跡地にある銅像なんて意味不明な物ですし、日生跡地には野球を模った人工芝広場以外に何もありません。はっきり言ってどちらも「残す物が的外れ」と思います。)

 

 

愚痴はともかくとして、現在はこんな風になっています。

この遊園地はかつてのグラウンドの敷地をほぼそのまま転用しているので往時のグラウンドの形状や広さを容易に推測することが出来ます。

 

 

ところでこれは別な地図。これによって旧グラウンドの中で野球場がどういう配置だったのかがはっきり分かりました。

 

 

地図と照合するとこちら側がバックネット裏に相当する位置。

分かりづらいかもしれませんが、手前にはカーブを描いた鉄道のレールがあり、おそらくその辺りがスタンドだったと思われます。

奥の遊具の辺りがホームベース周辺だったのではないでしょうか?

 

 

これは野球グラウンドで言えば1塁側に該当する位置。

レールの位置もしくは後方の擁壁の位置のどちらかが旧スタンドだったのでしょう。

 

 

1塁側から野球観戦するイメージ。

 

ところで既述のグラウンド跡地の銘鈑が最初なかなか見つけられませんで、遊園地のガイドさんに案内していただきました。感謝しております。

 

ガイドさん 「関学の御出身ですか?」

black 「関学OBに見えますか?(キラリ)」←もちろん違います(苦笑)

 

 

大人一人で動物園に入るのが何となく恥ずかしくて最初は入園しないつもりでした。

でも「そう言えば自分はパンダやコアラって生で見たことが一度もなかった。せっかくの機会だから見よう」と思い、急遽入園しました。

入園料は600円。思ったよりも安かったです。(1,000円以上かかるかと思っていました。)

 

 

 

 

 

で、生まれて初めて生で見たパンダとコアラ。(笑)

 

 

関学発祥の地、原田の森。この周辺は文化的・芸術的なものがあれこれ存在しています。

お時間がありましたら散策されるのもいいかと思います。

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