静岡草薙行き(2) 沢村投手の快投の秘密?

  • Mr.black
    2009年03月18日 19:22 visibility2251

 

今回オープン戦を観戦した静岡草薙球場。昭和9年(1934年)11月20日に行われた日米野球第10戦で沢村栄治投手が大リーグの並み居る強打者相手に快投を演じた場所としてあまりにも有名な野球場です。
もっとも現在の草薙球場は昭和48年(1973年)に建替えられた二代目で、沢村・ルースが対戦した球場とは別物ではありますが。


ところでこの有名な沢村栄治投手の快投についてですが、実はこんなことが語られています。当時の草薙球場は現在とは球場の方位が異なり、バッターから見るとマウンドの後ろから太陽光が照らし、投球が見づらかったというのです。
これは果たして本当のことだったのか?以前からの疑問であり、確かめてみたいことでもありました。
しかしながら既に球場は建替えられており、方位が異なっているということであれば検証は不可能です。


・・・・・ところが現在でも検証することが可能であることにある時気づきました。それは球場管理事務所に旧球場のホームベース跡が残されているという情報です。草薙球場の3塁側には管理事務所があり、そのホールの床に旧球場と同じ位置、同じ方位で石造り(または石調のタイル)のホームベースがモニュメントとして造られていたのです。


そこで今回、球場事務所にお願いしてこのホームベースを見せていただきました。そして方位磁石を持参してマウンドとベースの向きをチェックしました。
結果は打者から見てマウンドはほぼ南西に位置していたことがわかりました。試合が開催されたのが11月なので太陽は早目に西日になっていたと思われますので、「太陽光が眩しかった」というのは本当のことだったようです。

しかし、だからと言って沢村投手の快投の値打ちが下がるものではないと自分は考えています。何故ならばこの試合唯一の失点だったゲーリックのホームランが「沢村がドロップを投げる時には口が微妙にゆがむ」というクセを見破って打ったものであるからです。
打者と投手の距離は18.44m。それだけの距離があるのに口が微妙にゆがむのが分ったということは太陽光が言われているほどには眩しく無かったのではないかと考えているからです。眩しければ顔は暗くて見にくいはずですから。

そんな様々なエピソードが語られ、イメージと空想は膨らむ草薙球場。でも野球の歴史を知らない人(または知っていてもさほど関心の無い人)からすればこの球場は単なる狭い一地方球場に過ぎません。伝説とはそういったものなのではないかとも思います。

この二代目の球場も実は現在三代目に建替え(またはグランド拡張などの大規模な改修)、という計画が持ち上がっているようです。現在のローカルな風情を残す球場からもしかしたら全く趣の変わった球場になってしまう可能性もあります。出来れば同じような感じで三代目の球場を造って欲しいと考えています。(球場名のネーミングライツなどというプランもあり、草薙という名前が消える可能性もあり、これは是非とも回避して欲しいものです。)
いずれにしても今後の展開が気になる球場です。



照明灯は横長ではなく、縦長です。これは珍しい。



こちらが管理事務所のホールにあるホームベースのモニュメント。



方位を調べたところ、打者から見てマウンドはほぼ南西でした。
下の白いものがホームベースのマウンドに正対している部分です。



見づらいかもしれませんが、沢村投手の銅像の後ろ姿。
全日本の時の背番号は「8番」だったのですね。

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