読んでみた〜神様が創った試合

  • 仲本
    2010年09月26日 21:33 visibility743

 

23日に行われた星稜−箕島OB戦を前に、こういう本を見つけてきていたのだが、結局当日までに読み切れないでいた。例の甲子園での延長18回の試合は1979年8月16日。古い本かと思ったが2006年発行と比較的新しい。プロローグは星稜高校の山下監督が一線を退く2005年の会見だ。


その後、あの試合の経過に両校監督のそこへ至るまでの道のり、選手たちのその後、そして再々試合(OB戦は和歌山で1回、石川で1回。今回の甲子園が3回目となる)までのエピソードがつづられている。ちなみに、著者は星稜高校出身なのだが、読んでいて気になるほどの偏りはない。


一読してみて「やっぱり予習は必要だったなあ」、と思った。惜しいことをした。
以下、この本から少しだけご紹介する。興味のある方はぜひ本を読んでみてください。

1回目のOB戦は1994年に和歌山で、軟式の7回制で行われた。星稜2−0でリードした最終7回の裏、箕島の攻撃は1点を返してなおもツーアウト1,3塁。ここで箕島は尾藤監督自らが代打に立つ。「代打オレ」である。ならばと星稜は山下監督がリリーフ登板、監督対決と相成った。あろうことか、尾藤監督は一塁にフライを打ち上げてしまったという。山下監督はマウンドから大声で叫んだ。「加藤、捕ってくれ!」…、この本では残念ながら結末は触れられていないが、2−1で星稜高が勝ったというから捕ったのだろう。


2回目のOB戦は2004年に石川で。今度は硬式で7回制ということになった。ところが、数日前から試合当日は「雨」の予想が出ていた。世話役の星稜OBの方は「どしゃ降りになっても1イニングはやります」と祈るような気持ちであったという。はたして、当日朝は雨。しかし幸いにも8時前には止み、青空が顔をのぞかせたため無事に7回まで行われた。


それぞれの人生は続く。だが両校ベンチ入り選手の中には物故者もいる。箕島高校背番号11、江川選手は投手の控え。大学・社会人と進んで野球を続けたが、わずか24歳で病に倒れた。OB戦の試合開始前には黙とうがささげられた。

この前の23日に行われた3度目のOB戦も朝方は大雷雨、とても野球どころではなさそうな天気だった。しかし試合開始時刻が近付くと雨は去った。「甲子園史上、最高のゲーム」と言われるこの対決、再試合になってもなお物語を紡ぎ出すようである。
(参考:『神様が創った試合』松下茂典/ベースボール・マガジン社/2006)

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