import_contacts 「読書系」に関するブログ
-
観戦記も放浪記も書けないので、野球本をもう一冊取り上げる。第100回の夏の甲子園大会に向け、朝日新聞紙上で連載された記事をまとめたものだ。 高校野球の本と思って読むと期待を裏切られるかもしれない。その時々の社会情勢が述べられ、「一方そのころ甲子園では、」と付け足しのように触れられる回も多いからだ。名勝負・名選手はさすがに語られつくしたということだろう。清宮幸太郎も田中将大も松坂大輔も登場しない。し...
|4年前 -
緊急事態宣言が解除されたとはいえ、まだまだ遠出する気にはなれない。町の図書館がようやく再開したので、野球本を一冊借り出してきた。 石本秀一。戦前に母校・広島商業を率いて4度の全国制覇を果たすと、その後職業野球に転じても大阪タイガースの監督として手腕を発揮。さながら球界初の「優勝請負人」であった。 郊外に疎開していたため原爆の被害から辛くも免れた。戦後生まれた新球団・広島カープでは、初代監督として、...
|4年前 -
新型肺炎の対応ということで、とりあえず「幻の大会になるかもしれない」と思って春の選抜大会の展望雑誌を買いに走りました(※冷静な対応が求められます)。あわせて新刊で出たばかりのこちらを購入して読んでみました。 2018年の夏の甲子園、話題をさらったのは秋田代表・金足農業でした。もともとファンの間では無名の学校ではありませんし、エースの吉田投手はなかなかの好投手と聞きます。しかしタレント集団が当然のよ...
|4年前 -
(明石のシンボル、天文科学館の時計が正午をさす) 明石には何度も訪れて日記にしている。高校野球の兵庫大会(硬式)、全国大会(軟式)が明石公園野球場で行われているからだ。球場のある明石公園は駅のすぐ北側。 駅の南側にはあまり行かないが、いつのまにか再開発が一段落したらしく、駅のホームから南側を望むと今はこんな感じになっている。早々にノルマ終了。というより、明石商業は春の選抜に初出場を決めたときに訪れ...
|5年前 -
社会人野球のビッグタイトル・都市対抗野球大会には人名を冠した賞が三つある。橋戸賞・小野賞・久慈賞という。主催の某新聞社はかつて大会前になるとこれらの人物の簡単な経歴を掲載していたので、わたしも子供のころから名前だけは知っていた。いずれも野球殿堂の第1回表彰対象者となっている。 殿堂にはそれぞれの肖像と顕彰文を刻んだレリーフが掲げられている。近年になるほど顕彰文が長くなる傾向があるのは、細かく書かな...
|7年前 -
もともと別の本を読んでいて「高橋ユニオンズ」のちょっとした記述が目に入り、市の図書館の書架にあったこの本を手に取ってみた。2011年刊行と少し時間は経っているが取り上げることにする。プロ野球ネタはあまり得意ではないが…、戦後復活したプロ野球は昭和24年オフシーズンにセントラル・パシフィックの2リーグに分裂。プロ野球はその後数年間、毎年のようにチーム再編が行われる混沌とした状況だった。決然と袂を分か...
|7年前 -
水原茂なんてずいぶん古いなあ、と思われるかもしれません。でも今回は違う水原さんのお話。近代俳句の道を開いた正岡子規が野球を好んだという話はずいぶん有名になりましたが、その後野球を題材にとって作句した人はいないのか、と探してみたところ、こういう人がいました。水原秋桜子。俳号はしゅうおうしと読みます。男性です。明治25年、東京・神田猿楽町生まれ。旧制一高から東京帝大医学部に進み、父と同じ産科医の道に進...
|8年前 -
忘年会シーズン。「酒は鍛えれば飲める」とはいうが、もともと酒の入る身体の持ち主にはかなわない。その男はノンプロの野球選手で、酒飲みだった。毎晩の飲み代のツケがつもりに積もって月給の10倍になった。どうしたものか。男は思案を巡らせた。プロ球団のテストに合格すれば仕度金が出るらしい。これで一気にツケを返してしまおう。一度は落ちたプロ球団のテストに再び挑むことにした。球界の先輩のツテをたどっているうちに...
|8年前 -
第60回全国高校軟式野球選手権は兵庫県明石・高砂両球場で5日間にわたって行われ、能代を2−0で降した作新学院が全国最多の9回目の優勝を果たしました。…と毎年これくらいで片付けられてしまう軟式の部ですが、去年は違いました。準決勝の中京−崇徳戦が延長50回という長い試合になったのです。 (『延長50回の絆』中 大輔/竹書房/2015)絆とつければ売れるだろうというタイトルはともかく、この試合を巡る両チ...
|9年前 -
このネタ続くんですかΣ(゜Д゜)検索したら、なぜか近所の図書館にこういうのが置いてるということがわかりました。<写真>誰が借りるんじゃこんなもん!一市民として税金の無駄遣いを見捨てておけなかったので速攻で借りてきましたよ(自爆)著者はこの前の蹴鞠始めを披露した蹴鞠保存会の世話役の方で、本業はお医者さんです。おや、ところであなたは?鞠「わたしは鞠の精です。よっろしくー!」仲「来たよこんなとこまで擬人...
|9年前 -
はっきりしたデータがあるわけではないが、ニュースによると今年の夏の甲子園には台湾から訪れる人が増えたのだそうな。台湾で公開された映画「KANO」の影響ではないか、ということだ。日本では来年1月に公開が予定されている。当時の甲子園球場をどのように再現しているか、という興味はあるが、聞くところによると3時間を超える長い作品だとか…、あと、最近やたらと「反日」「親日」に色分ける言説が巷に出回っているが、...
|9年前 -
■「われわれはカナダにいるけれども、日本のことは忘れたことがない」祖国への心情をそう吐露したみなさんが、少しだけ躊躇した後、これだけは聞いておきたいといったふうに言葉を継いだ。「日本では、われわれ朝日軍のことは知っているんだろうね?」「いえ、残念ながらほとんどの人は知らないのです」■(■間、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』より引用) 1998年、フルモト氏はかつてカナダにあった日系人野球...
|10年前 -
わたしもラボの中では歩き回るタイプなので、この本は見逃せないところ。昨年書店で見てから気にはなっていたのだが、常々お世話になっている大阪市の中央図書館では貸し出し中が続いていた。意外に人気のようだ。前回日記で取り上げた「原貢」本を返しに大阪府のほうの中央図書館(これは東大阪にある)に行くとたまたま書棚にあったので代わりに借りてきた次第。東大阪はちょっと遠いが返却は中之島でもOKということでなかなか...
|10年前 -
「お前たちはさまざまな逆境に耐えて今日まで野球ばやってきた。今日は思う存分暴れろ」 昭和40年8月22日、夏の甲子園大会の決勝戦。一回の裏、攻撃に向かう選手たちに30歳の青年監督は諭すように言ったという。監督の名は、原貢。彼が率いるチームの名は、三池工業高校。 三池工業高校はこの時が甲子園初出場だが、当時に至るまで、三池の名はたびたびニュースに登場した。明治から開けた炭鉱の町は、石炭とともに栄え、...
|10年前 -
<写真>(写真は内容とほぼ関係ありません)2013年はドラマ・半沢直樹がはやりましたが、同じ人が書いている小説が先頃文庫になったのでちょっくら読んでみました。舞台は中堅電機部品メーカー。ご多分にもれず景況悪化で本業が苦境に陥り、銀行からはより一層のリストラ計画を求められていたりします。かつて強豪だった野球部を持ってはいますが、外の人間からは(あるいは中からも)お荷物にしか見えず…、作者いわく、「野...
|10年前 -
春の選抜出場校も決まり、ラボの中でも珍しいとされる高校ネタ担当のわたしも、のんびりしてはいられないはずなのですが…、伊勢高校残念でしたね(´・ω・`)。で、この前の伊勢放浪のとき、電車の都合で出発まで1時間ほど待ち時間があったので、近鉄難波駅そばの書店をのぞいてみました。だいたい書店で目をつけておいて結局は図書館で借りることが多いのですが、伊勢に行ってみたら昔の日米野球ネタを拾ったので、大阪に戻る...
|10年前 -
シーズンオフということで図書館の書庫から古い本を出してもらった。 佐伯達夫氏、明治26(1893)年生まれ。中等学校野球の全国大会の初期から大会委員・審判委員として参画し、昭和42(1967)年から日本高野連の会長に就任し、在職のまま昭和55(1980)年に死去。高校球界の大立者を一人選べと言えばこの人しかいない、という人物だ。平易な言葉で書かれているにもかかわらずなぜかすんなりと頭に入ってこない...
|10年前 -
<写真>みどりの日なので、緑帽子のチームネタでもう少し引っ張ります。この本、以前日記で取り上げたような気もしますが、一連の「大阪クラシック」の流れに乗って読み返してみました。前回「ホークス展」の日記で展示資料を写真で見たことがあると書きました。この本の図版と重複しているものがかなりあったからです。それも当然で、著者の永井氏(関西大学教授)は今回のホークス展の企画にも大きく関わっていたのでした。ペナ...
|11年前 -
マエストリの完投勝利やらG.G.佐藤の電撃解雇やらで、にわかに注目が集まるイタリア野球。諸事情あって外出もままならないので今回は読書ネタです。この本の著者・八木氏の本職はカメラマン。こういう職業は仕事のオファーが来なければ話になりません。もらった仕事は逃さないとばかりに働きに働いて、20代の後半、ついに身体が悲鳴を上げます。これはさすがにマズイと思い、「ちょっと休むわ。むかし仕事で行った南イタリア...
|12年前 -
<写真>“悲運の名将“・西本幸雄氏逝くのニュースを受けて、買ったまま読まずに置きっぱなしにしていた一冊を本棚から引っ張り出し、大急ぎで読んでみた。1979(昭和54年)の日本シリーズはかの「江夏の21球」を生んで野球ファンに長く語り継がれることとなったが、どうもわたしにとっては昭和54年ははっきりとした記憶以前の出来事らしい。著者は少年時代のファンレターをきっかけに応援団として西本監督の近鉄を追い...
|12年前