読んでみた~バンクーバー朝日関連・2冊
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仲本
2014年10月04日 22:27 visibility333
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「われわれはカナダにいるけれども、日本のことは忘れたことがない」
祖国への心情をそう吐露したみなさんが、少しだけ躊躇した後、これだけは聞いておきたいといったふうに言葉を継いだ。
「日本では、われわれ朝日軍のことは知っているんだろうね?」
「いえ、残念ながらほとんどの人は知らないのです」
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(■間、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』より引用)
1998年、フルモト氏はかつてカナダにあった日系人野球チーム「バンクーバー朝日軍」の投手だった父の足跡を訪ねた。老齢になった朝日軍OBたちは快く迎えてくれたが、彼らの問いに、氏はそう答えざるをえなかった。そのことが心の奥に引っかかっていた氏が、朝日軍のことを一冊の本『バンクーバー朝日軍』にまとめたのが2008年。何十年も前の海外資料収集は困難を極めたため、試合内容などについては、亡き父やOBたちの回想談を踏まえて、事実に基づいたフィクションという体裁になった。しかしそれが逆に幸いして流れのあるストーリーになり、漫画や映画の原案となった。バンクーバー朝日軍は日本においても「ほとんどの人が知らない」ところから大きく一歩踏み出した。
そもそもフルモト氏に朝日軍OBを訪ねる旅を思い立たせたのは、朝日軍がテレビのドキュメンタリー番組で取り上げられていたからだそうだ。番組制作に携わった後藤紀夫氏がその後も関係先にインタビュー・取材を行い、こちらも約10年を経て『バンクーバー朝日物語』という本にまとまっている。今回、この2冊をまとめて読んでみた。
現地人にとってみれば日本人移民とその子供たちは「言葉も習慣も全く異なる、わけのわからない奴ら」であり、あえて類似点を探すとすれば、「奴らは野球をプレーする」ということだけだった。その頃すでに本国・日本において、野球は一大人気スポーツになっていた。バンクーバーでも1907年ごろには日系人チームが誕生していたらしい。
1911年には北米遠征中の早大が現地の白人アマチュアチームの強豪と対戦し勝利。日系人の中にも、同じルールで白人と勝負できる唯一の場で強いチームを作ってやるぞ、という気運が生まれた。
バンクーバー朝日の誕生は1914年。二世の20歳そこそこの青少年たちを集めたチームだった。デビュー戦は同じ日系チーム。「大人と子供の対戦」だったが、少年チーム・朝日が快勝した。若い連中がこの世界を変えるのだ。そう多くはない余暇の時間に練習に明け暮れる彼らは、まもなく希望の星となる。
「バンクーバーに朝日あり」は日本にも伝わった。当時日本では海外チームを招待することが盛んだった。朝日も1921年に招待を受けて来日。各地で試合をこなし、11勝10敗1分だった。もともとバントやスチールを多用するチームだったが、日本の強豪のプレーの精度には学ぶところが大きかった。
選手の確保・定着に悩みながらも、技術に磨きをかけた朝日は、1926年、現地のアマチュア最上位リーグにおいて、23勝3敗1分と圧倒的な強さで念願の初優勝を果たす。朝日はあくまでバンクーバーの一リーグの覇者に過ぎなかったが、日系カナダ人・白人に与えた衝撃は大きかった。
…、と、ここまで2冊を見比べながら書いてきて、リーグのチーム編成とか細かいところが結構食い違っていることに気付いた(^^;)。フルモト氏の『朝日軍』のほうはご本人が若干の創作を加えていると断っているし、漫画、映画となればさらにいろいろ脚色が加わっていると思うので、漫画や映画から入る人はそのへんも頭に入れておくことをおすすめします。
(参考:テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』東峰書房/2009
後藤紀夫『バンクーバー朝日物語』岩波書店/2010)
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