水原と日本シリーズ
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仲本
2016年10月30日 20:38 visibility380
水原茂なんてずいぶん古いなあ、と思われるかもしれません。でも今回は違う水原さんのお話。
近代俳句の道を開いた正岡子規が野球を好んだという話はずいぶん有名になりましたが、その後野球を題材にとって作句した人はいないのか、と探してみたところ、こういう人がいました。
水原秋桜子。俳号はしゅうおうしと読みます。男性です。
明治25年、東京・神田猿楽町生まれ。旧制一高から東京帝大医学部に進み、父と同じ産科医の道に進みました。そのかたわら、学生時代からはじめた俳句では、正岡子規の直系の弟子である高浜虚子が率いる「ホトトギス」で頭角を現しましたが、当時主流であった「客観写生」にとどまることをよしとせず、やがて袂を分かつことになります。
東京育ちの彼にとって、早慶戦などで野球は身近なスポーツでした。旧制高校・大学時代には自ら捕手・内野手としてプレーし、のちに主宰する俳句結社でも余興で草野球チームを作ったほどでした。
戦後のプロ野球ももちろん見ていました。「ナイター」を俳句歳時記に載せるとなったときには自ら解説文を書いたそうです。春や秋にも行われるが、季語としては夏に入れるのが当然であろう、と。夏の日中の暑さを避ける意味もあったナイターですが、全天候型のドーム球場が増え、夜空に球場の照明が煌々と灯る情景を見ることも、昔に比べればずいぶん減りました。
しかし、十七音と限られた中でスポーツを詠み込むのはとても難しい。「ナイター」を詠み込んだ俳句は秋櫻子に限らず探せばそれなりに出てきますが、ただ試合や客席の情景を切り取ったならば、なんだか俳句と川柳の中間みたいな感じになってしまいます。
それでも秋桜子は果敢でした。素人目にもさらに難易度が高いと思われる「日本シリーズ」でいくつか作っています。
蜜柑投げ日本シリーズ了りけり
石蕗咲くや日本シリーズ又西へ
残る虫日本シリーズ近づけり
「蜜柑投げ」なんて当時の球場の雰囲気が出ているようです。「日本シリーズ又西へ」、秋桜子は江戸っ子なのでてっきりジャイアンツファンかと思いきや、西鉄ライオンズをひいきにしていたそうです。2016年もそうでしたが、両チームの本拠地が遠く離れているほうがシリーズはなんだか面白いような気がします。季語「残る虫」にはあれほどたくさん鳴いていた虫も秋が深まりすっかり少なくなってしまったよ、という含意があります。リーグ優勝が決まれば消化試合、スタンドの観客もめっきり少なくなったことも連想されます。
(参考:橋本榮治『水原秋櫻子の100句を読む』飯塚書店/2014)
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