100年聖地~春の選抜

  • 仲本
    2024年03月31日 21:14 visibility257

阪神甲子園球場は兵庫県西宮市甲子園町1-82にある野球場である。

 

1915(大正4)年に豊中グラウンドで始まっていた全国中等学校優勝野球大会は、その後開催球場を転々としたが、年々人気を集め、詰めかける観客を収容できないほどであった。こうした背景もあり、今後野球は日本で盛んになるとみた阪神電鉄は、西宮市の廃川跡の土地を買い取り、新球場を建設することにした。1924(大正13)年3月11日起工、同年8月1日に竣工というスピード工事であった。大正13年は十干・十二支の組み合わせで最初の「甲子」にあたる縁起の良い年であったことから、新しい土地一帯は「甲子園」、グラウンドは「甲子園大運動場」と名付けられた。

 

全国中等学校野球優勝大会はさっそく同年8月13日から開催される第10回大会から甲子園に会場を移し、また、同年春に新たに開幕していた全国中等学校選抜野球大会も、翌年3月31日開始の第2回大会から甲子園を使用することになった。以来、戦争や疫病による大会中止があったものの、この球場は中等學校(旧制)・高等学校の野球における一大目標の地であり続けている。

 

2024年は球場完成から100年を迎えた。

 

球場正面や周囲には、開設100周年を祝うエンブレムやバナーが掲げられている。

甲子園球場に春の到来を告げる大会は選抜高等学校野球大会。回数こそ96回だが、戦争による中断をはさんでいるため、こちらも今年で開始から100年目を迎えた。

 

 今年の関西地方は天候不順で、あまり青空の下で行われることがなかった。2日連続で雨天順延ということもあったが、なんとか休養日1日をはさみつつ、当初の日程より1日遅れの3月31日に決勝戦が行われることになった。

 

試合はテレビでの観戦になった。1回の表に報徳が2点を先制。地元中の地元チームが応援の後押しを受けて一気に押しまくるかと思ったのもつかの間、その裏、健大高崎がすかさず同点に追いついた。低反発バットといえどもしっかり芯に当てれば長打も出る。飛ばないからつまらない、などと判断するのは時期尚早、あとは打撃技術の向上を待つばかりである。

 

立ち上がりこそ失点を許したが、先発両投手がその後要所を締めた。どちらも2枚看板で勝ち上がってきたため、いざとなれば継投で攻撃の流れを断つこともできる。3回に1点を勝ち越したのは健大高崎だった。追いかける報徳は5回に二死満塁、6回には無死2,3塁のチャンスを築いたが、あと一本が出なかった。

 

勝った健大高崎は、群馬県勢で初めて紫紺の大優勝旗を持ち帰る(群馬県勢が春の決勝に挑んだのは、69年前(!)の桐生高校以来)。報徳学園は2年続けて決勝戦に勝ち進んだが、今年も無念の準優勝。しかしこの試合でも見せた再三の好守は、「名門ここにあり」の強い印象を残した。

 

 (準々決勝の第4試合、大阪桐蔭-報徳学園は、今年の春の「西の総大将」決定戦の様相。やはり小雨の中の試合となった。わずかなミスが勝敗を分けたゲームだった)

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