「小松辰雄」この快腕投手を君は知ってますか?
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篠山鳳明
2018年03月21日 08:00 visibility4282
春分の日の朝此処常陸の国水府地区は肌寒い一日になりそうです。
本日は全国的に低温で関東では雪の予報も出ているところもあるようです。
さて以前からずーっと高校野球で語り継がれているそれは「雪国のハンディ」というやつである。
雪国と言えば北海道、東北、北信越がほぼ該当する。
特に選抜大会はその雪国のハンディが顕著に出るのである。
北海道は駒大苫小牧が夏を連覇し、東北地区は春夏合わせて決勝戦へ11回も進出しているのであるが、北信越だけは非常に厳しい状態が続いていたが1978年(昭和53年)の第50回大会で福井商業が決勝戦へ初めて進出し浜松商業の前に0対2と惜敗したがその後1995年(平成7年)第77回選手権大会で星稜高校が左腕山本を擁して決勝迄進出したが帝京高校に1対3と苦杯をなめた。
しかしながら2015年(平成27年)の第87回大会で敦賀気比高校が平沼の好投で東海大四高を3対1と破りみちのくより早く鯖街道と通って敦賀の地迄紫紺の大旗が渡ったのである。
北信越と言えば新潟は別にしても、富山県は富山商業か高岡商業、石川県は金沢高校か星稜高校、福井県は福井商業と大凡甲子園出場は決定していた。
その中で今回フォーカスしたいのが石川県の星稜高校の我々と同じ時代を走って行った「小松辰雄」である。
小松 辰雄は、石川県羽咋郡富来町出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ、野球解説者。現役時代は中日で活躍した。かつてはCBCテレビ・CBCラジオの野球解説者。
1976年第58回の夏の甲子園で石川・星稜高校の2年生エースとして準決勝まで進出、その年の優勝校である西東京代表の桜美林高校に敗退したものの、その剛速球は注目されることとなった。
3年生となった翌1977年第59回の夏の甲子園では、1回戦で奈良・智辯学園の山口哲治と壮絶な投手戦を繰り広げるが、序盤に制球を乱して喫した2失点が響き、1対2で敗退した。同年のドラフト会議で中日から2位指名を受けて入団(1位指名は入団が1978年秋まで遅れ、1979年に新人王となった藤沢公也)。
この年の高校球界には、小松や山口の他にも夏の甲子園で優勝した兵庫・東洋大姫路の松本正志、福島県予選を無失点で制した福島商業高校の三浦広之、春の覇者、箕島を予選で破った和歌山・田辺高校の木下透と才能あふれる投手が数多く高卒でプロ球界に入団したが、長く活躍できたのは小松だけである。
小松辰雄の甲子園での成績は
1976年(昭和51年)第58回選手権大会は
○1-0 日体荏原
○3-2 天理
○1-0 豊見城
●1-4 桜美林
1977年(昭和52年)第49回選抜大会は
●0-4 滝川
そして最後の1977年(昭和52年)第59回選手権大会は
●1-2 智弁学園
という結果であったが、150Kは当時出ていたであろう速球は速かった。
同じ時代に長崎海星の酒井圭一という投手がいたが酒井とは明らかに球質が違っていた。
酒井は重い球質、小松は軽い球質。しかし球速は小松のほうが上だったと思う。
小松辰雄が居たころ星稜高校に打力がもう少しあれば1976年桜美林高校を倒して全国を取っていたかもしれない。しかしそれは夢に終わった。
星稜高校はこのころから山下智茂監督の元、北陸の雄へと成長してゆくのである。
- 事務局に通報しました。
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