奮闘!公立の雄 松山東高等学校(がんばっていきましょい!)

愛媛県立松山東高等学校(えひめけんりつ まつやまひがしこうとうがっこう)は、愛媛県松山市持田町二丁目にある公立の高等学校。

 

日本の高校野球の名門松山商業とは目と鼻の先にある。

 

 

藩校・明教館の流れを汲み、旧制松山中学以来の伝統を持つ県内最古の高等学校である。初代校長は草間時福で、同校の校風に多大な影響を与えている。愛媛県尋常中学校時代に夏目漱石が第五高等学校へ赴任するまで1年間教鞭をとっており、この体験を元にして小説『坊っちゃん』が描かれた。

 

偏差値は68で愛媛県公立では1位、全体でも私立愛光高校の74に次いで2位と所謂SGH(スーパー・グローバル・ハイスクール)にも指定されている。

 

正岡子規が1889年(明治22年)に野球を伝え、1892年(明治25年)に設立された「球技同好会」が起源。硬式野球部の設立は愛媛県内で最古であり、1950年(昭和25年)第32回大会で同じ四国徳島県の鳴門高校を打撃戦の末に破り、夏の甲子園で優勝している。

 

ただし、この優勝は商業科を併設した統合時代のものであるため、出場回数と優勝回数の記録は同校と松山商業とで共有する。松山商業の優勝回数としてクローズアップされることが多いとはいえ、同時に松山東の優勝記録でもあり、記念大会の歴代優勝校の校旗の入場行進時には当然、同校の校旗も連なっている。

 

戦歴は以下のとおりである

○4-3 長良
○7-0 呉阿賀
○5-0 宇都宮工
○12-8 鳴門

 

戦前の松山中学時代の野球部は、愛媛県内では松山商業に次いで強かったとされ、1933年(昭和8年)第10回大会の選抜と同年夏の第19回選手権にの2回甲子園に出場している。

特に19回の選手権大会にはベスト4へ進出している。

戦歴は以下のとおりであり、当時無敵であった台湾嘉義農林を10対1で下す大金星を挙げている。

○10-1 嘉義農林
○3-2 栃木中
●0-4 平安中

 

2014年(平成26年)夏の県大会では、実に63年ぶりに決勝戦まで勝ち進み(小松高校に敗退)、同年秋の県大会ではその小松高校に勝利し、これも63年ぶりに四国大会に出場が決まった(愛媛県では今治西に次ぐ2位)。四国大会では一回戦で鳴門高校に敗退したが、21世紀枠候補に選ばれ、その後選抜出場が正式に決定した。

 

主催者の毎日新聞によれば、「(選抜史上)過去最長のブランクを埋める82年ぶり2回目」の出場となり、初戦二松学舎大附を5対4で破り見事初戦を突破を果たした。

 

体育の練習で生徒が走っているのを見た先生が何故か気分を害して「全員1時間はしっておれ!」と叱った時、

一人の男子生徒がみんなを元気づける為、自然に発した言葉が「がんばっていきましょい」だった。

それが今でも永遠と語り継がれている。

 

愛媛県という野球県において甲子園の道のりは平坦ではないが100年目の記念すべき大会。

松山東高校の復活を期待してやまない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                   以上です。

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