群馬県立藤岡高校

高校野球もそう、社会人野球もそう、私は甲子園よりも地方大会の決勝戦のほうが、燃えるのは何故なんだろうか?

 

あと一歩で甲子園へ行ける、その最後の一球を見届けるまでは目が離せない。

 

社会人野球も最後の代表の東京ドームへの切符をかけて戦う姿に感動さえ覚える。

敗けたチームは大の大人が人目をはばからず、号泣しているのである。

 

野球とは、本当に素晴らしいスポーツだと思う。

 

そんななか、こんな高校が過去にあったのをご存じだろうか?

 

「群馬県藤岡高校」

 

1956年(昭和31年7月31日、栃木県宇都宮市開催)の第38回全国高校野球選手権大会の北関東大界決勝戦の足利工業戦であった。

 

試合は、足利工業の池田、藤岡高校の石井と両投手も、連投の疲れ見せず好投、先制は藤岡が4回裏にしたが、足利工業も9回土壇場で追いついて、延長戦に突入。

 

藤岡高校が延長15回裏に二死満塁から、六番萩原がセンター前にサヨラナヒット、劇的な藤岡高校のサヨナラ勝ちで、甲子園初出場決定と思いきや、一塁ランナーの大山は嬉しさの余り、二塁ベースを踏まずにサヨナラの歓喜の輪に加わった。

 

がしかし、足利工業の二塁手の小川がそれを見ていて、ボールを貰って、二塁ベースを踏んで、アウト得点は認められず。

俗に言う日本版「マークル事件」である。

 

その後、延長21回足利工業が待望の1点を取り、念願の甲子園出場を決めた。

 

地方大会で致命的なエラーをして、その後の人生を大きく狂った選手は何人もいる。

 

この土地に居られなくなり、引っ越ししたり、自身、身内が自死をしたという噂も聞いたことがある。

 

大山選手今なおご存命であれば84歳〜85歳、

 

残念ながら、今何処で何をしてるか、分からないが、機会があれば、ぜひとも藤岡の街に戻ってきて欲しいと願うのは、私だけでしょうか?

 

 

 

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