消えた球場(34) 後楽園球場
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Mr.black
2014年11月22日 12:49 visibility19223
武蔵野訪問後、折り返しで都心部へ移動。
訪れたのは東京ドームでした。
最後にここを訪れたのは故・大沢親分が日ハム監督(二回目)だった時。なので20年以上経過していると思います。本当に久しぶりにこの場所に立ちました。
とは言え、今回の目的はドームではなく、後楽園跡地に立つこと。
高校野球の聖地は甲子園。
大学野球の聖地は神宮。
そしてプロ野球の聖地は後楽園と言ってもいいでしょう。後楽園で開催されたプロ野球の試合数は同球場が閉鎖されて27年が経過した現在でも日本一の座を譲ってはいません。
かつて後楽園があったのはドーム正面にあるこの広場から後方の東京ドームホテル辺り。
写真左奥のパラシュート型の遊具は球場があった時からレフト後方に見えていたので、これが存在する限りこれから何年経っても球場の位置は把握できると思われます。
ところでこのブログを書いた6年後、フジテレビの「プロ野球珍プレー好プレー大賞」で東京ドームと後楽園球場の位置関係を示す合成映像が放送されたので以下に添付します。
↑ 左:後楽園球場稼働時。 右:東京ドーム稼働時。
↑ 合成した画像。これでよく分かりますね。
現在の東京ドームは後楽園のすぐ横に建設され、ほんの一時期両球場が隣り合わせに共存していました。それが上の画像。
しかし「後楽園閉場」→「東京ドーム開場」→「後楽園解体」が僅かな期間でスムーズに進んだので、感覚的には「後楽園を解体し、その跡地にドームを建てた」ような錯覚に陥りそうです。この場所にしょっちゅう来ていた人は別として、多くの人々がそんな錯覚を起こしているかもしれません。東京ドーム完成以降に生まれた若い方は特にそうかもしれませんね。
野球殿堂博物館。かつては後楽園の横に球場とは独立した建物として存在していました。当時の名称は「野球体育博物館」。
私が入ったのは正にその時期。ドームになってからは未体験です。久しぶりに入りたかったのですが、この日は休業日。残念。
後楽園の歴史については有名過ぎるので今さら書く必要もないでしょう。
なのでここでは個人的な思い出を。
私が後楽園で観戦したのはたった1回だけ。1976年(昭和51年)10月11日でした。
何故正確に覚えているかというと、この日は王選手がベーブ・ルース氏の714号を超える715号HRを放った特別な日だったからです。
たった一度の観戦でそのようなメモリアルな場に立ち会うことが出来、感極まった思い出があります。これが今日の球場行脚のきっかけになりました。「球場で生で見る歓喜は何物にも代えられない」と思うようになったわけです。
そして観戦はたった1回ですが、それ以外の思い出としてはTV番組の「アメリカ横断ウルトラクイズ」があります。
大学時代の4年間、毎年後楽園の予選に参加していました。残念ながら4回とも1次予選で敗退。親からは「苦労してせっかく稼いだバイト代を交通費や宿泊費につぎ込んで予選で負けて。お前は本当にアホやね」と笑われましたが、球場が消滅した今となっては本当に貴重な思い出になっています。
プロ野球のメッカだった後楽園。それを受け継ぐ東京ドーム。
どちらも都心にあったので一度も廃れることなく栄光の道を辿っています。
でも、「栄えるものがあれば、その陰で滅びるものがある」。
何事にも「光と影」は存在するのが世の常ですね。
後楽園球場そして神宮球場の繁栄はその代償として東京に作られた数多くの球場を滅ぼしていきました。
洲崎・上井草・東京スタジアム(オリオンズの本拠地)・武蔵野グリーンパーク(別名:三鷹球場)などなど。
後楽園や神宮には何の罪もありませんが、その存在が多くの球場の衰退を招いてしまったのは事実です。(後楽園・神宮の存在以外の様々な要件も重なったのですがね。例えば旧・駒沢球場は東京五輪開催の為に撤去されました。)
繁栄する球場で試合観戦し、でもその一方で消えた球場に思いをはせる。
私は一生その思いで過ごすのでしょう。
武蔵野グリーンパーク球場跡地へ向かう途中で見かけた猫。
私: 「お前さんは何を思っているんだい?」
猫: 「人間は小難しいニャ。もっと気楽に生きニャよ」
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