消えた球場(10) 西宮球場・その2
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Mr.black
2009年12月02日 13:46 visibility2570
不定期に書いてきたこのシリーズもとうとう10回目を迎えました。奇しくも今回の主役である西宮球場は第1回目で取り上げたスタジアムでもあります。
ここを前回訪れたのはちょうど二年前の今頃でした。現在跡地には「阪急西宮ガーデンズ」という大型複合商業施設が建っています。(阪急百貨店・専門店テナント・東宝シネマなど)
二年前はこの建設工事が始まって間もない頃でした。既に白亜のヨーロッパ城砦風の美しい外観を誇っていた西宮スタジアムは完全に解体されていて、更地になっていました。周囲は鉄製の壁で覆われ、出入り口からは大型トラックが頻繁に行き来していました。
出入り口はそういう状況で危なかったので近くの歩道橋に上がり、そこから内部を見分したしだいです。敷地は全面土があるだけで完全な更地状態。あとはクレーン車とトラックと作業員が見かけられるだけの跡地。なんとも虚しい光景でした。
それから二年。あの時吹きっさらしの空き地だった場所には巨大な商業施設が建っていました。
このガーデンズの建物の奥側、5階の東宝シネコンの入り口の横に「阪急西宮ギャラリー」があります。ここにかつての西宮球場、そして阪急ブレーブス関係の展示がされています。スペースの全てがそうというわけではなく、半分くらいは阪急電鉄・宝塚歌劇など阪急グループの歴史展になっていますが、それでもこういう場所が設けてあるのは嬉しかったですね。
スペースの左中央には西宮球場と周辺のジオラマが展示してありました。時期は1983年ということです。前年にスコアボードが電気式のものになり、「アストロビジョン」という大画面が造られた頃の姿です。グランドは内野が全面土、外野が人工芝の時代のものです。(グランドの最終形は全面人工芝。)
また、阪急西宮北口駅の有名な「ダイヤモンドクロス」がまだ存在していた頃の懐かしい風景も再現されていました。
このジオラマの横にはブレーブスの栄光を物語る数々のトロフィーや優勝フラッグ、ユニフォーム、などが展示されていました。
これは阪急ブレーブスが広島カープを破って初めての日本一に輝いた時の優勝フラッグです。(1975年)
以降、ブレーブスは最盛期を迎えます。
ギャラリー入り口付近には阪急ブレーブスの歴史上重要な人物のレリーフがいくつか展示されていました。
これは西本幸雄監督のレリーフ。
創設より30年以上も下位に低迷していたブレーブスを一躍常勝軍団に仕立て上げた熱血の名将です。
我が近鉄バッファローズにとっても忘れられない監督です。
昭和30年代後半から40年代前半に使用されていたユニフォーム。私が阪急ブレーブスを初めて見た時にはこのデザインでした。
チーム初優勝、そして昭和40年代の黄金時代を迎えたユニフォームです。(西本幸雄監督時代のデザイン。)
阪急ブレーブスのユニフォームとして多くの方が思い描くデザインはおそらくこのタイプでしょう。
この黒・白・赤の三色ユニフォーム、まさに阪急ブレーブス最盛期のデザインです。ただし、この前ボタン式は1980年のもの。
黄金時代(1975年〜1978年)のユニフォームはボタン無しで頭から被るプルオーバー式でした。(プルオーバー式は上田利治監督時代のデザイン。)
阪急西宮ガーデンズにお越しの際には是非このギャラリーもご覧ください。規模は小さなものですが、かつてのパの王者ブレーブスの栄光の足跡と西宮球場の古い映像が見られます。
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