「八重の桜」放送の記念の年に 同志社大学硬式野球部の歴史








 2年ほど前、私は「僕の愛したユニフォームたち」という記事を12回ほど書かせて頂いていました。



 自分のすきなアマチュア野球チームのユニフォームを紹介する記事でした。



 4月から、ある意味で仕事とオフの時間がきっちり線引きしやすい環境に変わるので、また一つひとつの日記にかける時間が長くもてるようになれば再開したいと思います。



 さて、久しぶりに自分の過去の記事を見ていて、「自分は当然、京都人として野球を語るに外せない同志社大学についてテーマを掲げて書かせて頂いたことがあるだろう」と思っていたら・・・ありませんでした。



 先日、今出川まで行った際に同志社の写真を撮ってきたので、これを機会に書かせて頂きたく思います。



 大河ドラマ「八重の桜」で話題の新島襄により1875年に創立された同志社。



 早くも明治22年(1889年)には野球部が誕生します。



 プレーの場所は今出川の校地のすぐ近く、京都御苑内だったそうです(まったくの蛇足ながら僕も京都御苑内に昔あった広場でプラスチックのバットとゴムボールで野球をしたことがあります。緑に囲まれた環境でなかなか爽快でした)。



戦績も目覚ましく、昭和16年春からの6連覇を始めとして、旧関西六大学リーグでは通算18回の優勝を誇りました。



昭和35年、大学選手権準優勝。



昭和48年には春のシーズン全勝優勝し大学選手権大会に出場、秋も明治神宮大会に出場し準優勝。この時のチームの大黒柱が田尾安志選手(元楽天監督)です。



昭和53年は明治神宮大会に優勝し初の「日本一」の称号を手にします。



平成2年には明治神宮大会に2度目の優勝。この時の主力が杉浦正則選手(後に日本生命)、宮本慎也選手(後にヤクルト)でした。



ただ、その頃から全国の舞台とは少し縁遠くなり、平成22年に大学選手権に出場した時は実に37年ぶり。平成22年春から23年秋までリーグ4連覇(通算リーグ優勝26回)するなどリーグでは強豪なのですが、なかなか関西の他のリーグとの一発勝負には勝てないもどかしさがあります。



それでも、高校野球の名監督 蔦文也さんはじめ、いつの時代もプロ・アマに多くの人材を送り出している同志社大学野球部。



 先ほども触れましたが今年は「八重の桜」が放送されています。

 一つの大学の創立に関わった人物が大河ドラマで取り上げられるなんて、もうこの先もあるかどうか分からない栄誉だと思います。

 ぜひ初の大学野球選手権優勝を果たしてほしいものです。








 




































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