野球読書日記「落合博満 バッティングの理屈」

  この本を買ったのは2015年でした。

 しかし元になった「落合博満の超野球学<1>バッティングの理屈」はずいぶん昔に書店で手に取り「難しい本だな」と思ったことを覚えています。

 2015年の時も同じように書店で手に取り、「難し過ぎないか、読まないゆえに無駄にならないか」迷った末に購入しました。自宅で読むと思った以上に頭に入ってくる内容で、落合さんの説明する力が卓越していることに感嘆しました。何でもゆっくり読んでみるものだと思いました。

 落合さんが深く野球を考え続けながら、長くプレーされた成果がこの一冊にまとめられています。

 掲載されている写真に落合さんのロッテオリオンズ時代のものが多く、恐らくロッテオリオンズ時代の三冠王獲得の頃が人生で最も技術的に野球を追いかけた時期だったのではと想像できます。すなわち、最も充実していた時期だったのではないかと察するのです。

 この本の神髄がどこにあるかなんて、私には到底語る力量がないのですが、直接バッティングについて語られた部分で最も心に残ったのは以下の部分です。

 

「パーフェクトなバッティングを追求するために、 私はどんなことを 考えていたか。 ミートポイントを実例にして書いてみよう。まず、本 書でこれまでに書いてきたような理屈で、 自分のミートポイントとい うものを探す。次は、フリーバッティングの際に、そのミートポイン トでボールをとらえる練習をひたすら繰り返す。 この時に、自分のミ ートポイントでバットにボールが当たる瞬間を見る努力をすることが 極めて重要だ。野球経験のある読者の方は、思い浮かべていただきた い。 実戦において、 バットにボールが当たる瞬間を見た経験はどれく らいあるだろうか。 ちなみに私は、 9257打席で何回と数えられるほど しかない。 それも、ほとんどが緩い変化球に体が泳いでしまい、それ でもなんとかボールを拾おうとした体勢の時に見たものだ。 150キロ を超えるストレートを完璧に打ち返して本塁打になった時でも、ミー トポイントでバットにボールが当たる瞬間を見た経験はない。つまり、 ほとんどはカンに頼って打っているわけだ。カンという表現がよくな いのなら、体にしみついた動きと言い換えてもいいだろう。」(332頁)

 

 なぜこの部分が心に残ったのかと言えば、先日YouTubeで居合い抜きの名人がマシンから放たれた140キロを超える軟球を切る動画を見ました。その時に、名人が話されたのは「球の出所だけを見て、あとは空気の流れを感じて切った」という意味のことを言われたのです。この時に落合さんの書いておられた上記の部分と何かしら通じるものを感じました。 

 つまり、バッティングとは理屈で説明し、理屈で上達できる部分と、言語を超越し内的体験や感覚でしか記憶できない要諦があるのだと思いました。

 本の帯には「プロ・アマ問わず、すべての選手、指導者、野球関係者必読のバイブル」とありますが、野球をしていなくても一つの技術や仕事を習得する過程を学ぶ指針となることが散りばめられています。

 素晴らしい本です。

 

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