
名言〜KING KAZU編
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2007年10月15日 15:19 visibility2229
バルドラール浦安の選手のブログを読みあさってます…
仕事?
もちろんちゃんとやってますよ!(冷汗
ども。TAKESHIです。(;゜Д゜)
さてお久しぶりの名言集
今回はKING KAZU編
これ読んでますますカズが好きになりました。
やっぱりカズは最高だぁ〜(ノ´Д`)ノ
それでは…
「ブラジルでプロ選手になって、いつかW杯に出たい」(高1/1982年地元静岡の新聞インタビューに答えて)
「僕の夢は日本をワールドカップに連れてゆくことです!!」
「1%あるんですね?じゃあ僕はその1%を信じます」 (高校の監督にブラジル留学を「人間100%はないが お前は99%無理だ」と言われ)
「ワールドカップ出場が決まったら、夢を達成したことにはなるけど、それは、到達点から 今度は通過点にしか思えなくなるでしょう。人生と同じで死ぬまでの間、通過点なんです。今は果てしなく続く道の中にワールドカップがあって、それが、夢で、すべてだと思っているけど、 またそこで行ったら違ったものが見えてくるだろうな、って思う。」(88年ブジルにて)
「日本代表をW杯に出場させるために帰ってきました」(1990年読売サッカークラブと契約し帰国した時の会見)
「それじゃ、見ててください。僕が日本を変えてみせます!」(帰国時日本にはプロが無いとネガティブな発言をする周囲の人間に対して)
「魂込めました、足に」(1993年アメリカW杯アジア地区最終予選VS韓国でゴールを決めて)
「人生そのもの」 (あなたにとってサッカーとは?と聞かれ)
「通用しないから行くんですよ」 (セリエA移籍の際各方面から通用しないと言われて)
「W杯に行くために(イタリアから)何かをつかんで帰って来たい」
「悲しみはいつか癒えていくのかもしれない。でも、傷って消えることは無いんです」(1997年フランスW杯アジア地区最終予選開始前、「ドーハの悲劇について今どう思いますか?」と質問され)
「成功した時にスポーツ紙の一面になるのは普通の選手。失敗した時にスポーツ紙の一面になる選手は限られている。一面で失敗を取り上げられ叩かれることに誇りを持てばいい」(1998年柔道の田亮子選手がイチロー選手との対談で「KAZUさんに言われたこの話を思い出すと心強くなる」と語った)
「……次の保証なんか、オレたちにはないんだ!」 (代表用具係りの人にユニフォームを次ぎ来た時渡すと言われ)
「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こう(フランス)に置いてきた」
「あっちに ご飯と納豆も玉子焼きもあるよ。」 (ホテルで偶然出合った日本人夫婦に話しかけられ。)
「ドイツでお会いしましょう」(2006年ドイツW杯への出場が決まった時に)
「おばちゃん、荷物持ってやるから速く乗りなよ」 (大荷物のせいででエスカレーターに乗れないご老人に。)
「サッカー以外の全ての面でもニックネーム(KING)に相応しくありたい」
「大好き神戸、ありがとう!!」(神戸退団の際)
「これで皆、オレが引退すると思っているのかな?サッカーは世界中でやっているんだぜ」(神戸在籍時の2005年7月に5戦続けてベンチを外れた時に)
「10年後か、まだまだ現役をやっていたいね」(KAZUが26歳頃に記者から「10年後はどうしたいですか」と聞かれた時の返答)
「勝ち負けに関係なくボールと仲良くなれ」(横浜市内の小学校で訪問授業を行った時に小学生に語った言葉)
「まだ死なねぇ」
「自分にとってプロとして必要とされるということが一番大事。自分を本気で必要としてくれて、プロとして条件を満たすのなら考える。」(横浜FC入団を聞かれ)
「環境なんか関係ない。サッカーはボールとグラウンドがあればできるから」 (横浜FC入団時)
「メシおごるわ」(横浜FC28人の選手の食事代を全員分奢る)
「日本も世界なんですよ」(記者の「日本は世界を相手に戦えますか?」との質問に対して)
「…サッカーが好きなんですね」 (ビストロスマップ出演時にSMAP中居に「(ブラジル時代、W杯メンバー落ちで)よく腐らないですね?」と聞かれ)
「とっておきのネタがあるよ。新しいベッドが届いたんだ。キングじゃなくてクイーンサイズだけど(笑)」(ベッド購入をマスコミに聞かれ。)
「おう、サッカー少年、頑張ってるな!」サッカーって楽しいだろ?いつか同じピッチでサッカーやろうな!」 (道端のサッカー少年をコーチして。)
「いつだったかな、日本代表合宿でゴンちゃんと一緒にランニ ング したんだよ。別に競争でないんだよ。でもお互いにトッ プを譲らないんだ。 オマケに終わろうともしない。ずっと無言で走り続けていたんだよ。 結局、誰かに止めてもらったん だけど、そうじゃなきゃ、倒れるまで走って いたね、きっと」
「ジーコ一度でいいから(代表に)呼んでくれねぇかな」
「60歳までサッカーを続ける」
「みんながまとまると強くなること…。超一流が集まって真剣にやった集中力は一つの芸術だと思う」(野球WBC優勝について)
「次は2010年目指して頑張ります」(2006年ドイツW杯のメンバー発表後)
「素直にうれしい。ひとつの形として結果を出せた。チームを立ち上げてここまで来た人は、本当にうれしかったと思う。その人たちに本当におめでとうと言いたい」(横浜FCJ2優勝&昇格決定の会見で)
「クラブというのは色んな波を乗り越えていくもの。みんなの思いのこもったチームだと思う。これからも苦しみ、きょうのような喜びもある」(同上)
「来年は40歳。楽しみですね、どんな40になるか」
それと真実かどうか解りませんがこんなエピソードも…
サイン〜その1
カズが、読売ヴェルディ時代に、甥っ子連れてサッカー場行った時の事。
カズは当時、絶大な人気だった(その試合では2得点ゴール)。 あれだけ人気なんだからきっと天狗になって調子こんだヤローなんだろうな。と思っていた。 試合が終わり、甥っ子が、どうしてもカズのサイン欲しいと、言うこと聞かず、 近くに居たヴェルディファンに「どうしたらもらえますか?」と聞いたらチームバスで来ていたら、 それに乗り込む時にもらえるかもしれませんよと教えてもらい、そこに連れて行ってもらった。
するとカズが現れた。前の方にいた甥っ子と自分は、周りの黄色い声に、圧倒されてたじろいでいた。 そして甥っ子は、怖くなって色紙とサインペンを持ちながら泣いていた。
そしてカズが、前を通り過ぎようとしていた。 勇気を振り絞って甥っ子が、色紙とサインペンを一生懸命差し出すも、 近くに居た、 ギャルっぽい女の子が甥っ子を押しのけて、サインをもらおうとしたその時、
「小さい子供いるのが見えないのか?」
と女の子に言い放ち自分の甥っ子の頭をなでて、 満面の笑顔で「大きいサインあげるから泣かないで」と、色紙いっぱいにサインしてくれた。
そしてさっきの女の子がサインもらおうと、カズに差し出すも、 カズは無視。 バスに乗り込んでいったまさにKINGこそ漢。私は、それ以来熱狂的なカズ崇拝者です。
その後甥っ子は中学生になり、サッカー部に入部 。背番号11FWとして、活躍している。
サイン〜その2
俺は代表合宿に参加するモリシとアキを激励しようと、選手達の到着を待ちわびていたんだ。 そうこうするうちに選手達を乗せたバスが駐車場に到着して、選手達がグラウンドへ向けて歩いてきたんだ。 そうこうするうちに、黒崎や前川なんかの今となっては地味な選手達(ファンの人、ゴメンねw)に混じって、 明らかにオーラが出てる選手が二人、こっちへ歩いてきたんだ。 それがカズと前園だった。二人で並んで歩いて来た。仲良かったんだろうな。
俺、ミーハーみたいに凄ぇって思ったよw
俺は目の前まで歩いて来たカズと前園に 「サイン頂けますか?」と訊ねたんだ。
するとカズはにっこり微笑んで 「もちろん」 と答えてくれた。
そうしたら前園は俺を無視してスタスタ歩いて行こうとしたんだ。 そうしたら今までニコニコ微笑んでいたカズが急に険しい顔になって「おい!ゾノ!!」 って前園を呼び止めたんだ。
びっくりして振り返る前園にカズは 「おめぇ、プロだろ?」 って語りかけたんだ。 そうしたら、前園、こっちへ戻ってきてサインしてくれたよ。
同じ数だけ
カズは里帰りするたびに、実家の近所の老夫婦がやっ てる紳士服店でスーツを仕立ててるらしい。 どんなイタリア製のスーツよりもいい着心地だとか。
子供のころよく、老夫婦に飴玉をもらっていたカズいわく、「もらった飴玉と同じだけの数、同じだけの色のスーツを仕立てるつもり。俺がサッカーを続ける限りね。」
そん時のカズ、おしっこちびるくらい格好良かったよ。
「2010年、それじゃあね。」
元日本代表FWの三浦知良(39)=横浜C=は15日、横浜市内でチーム練習に参加。14日の仙台戦に出場したため約40分間と軽めの調整をしたカズは「日本の力をもってすれば勝つチャンスは十分にある」と予想。
「サッカーはスポーツ。全力を尽くせば、日の丸をつけてもクラブでもやることは変わらない。選手はエンジョイかつ勝ってもらいたい」
今回選出された23人に向け、香水のにおいを漂わせ期待を寄せた。
現役である以上代表を念頭に置くカズの目標は43歳になる南アW杯。
「2010年、それじゃあね」と報道陣に向け笑顔で話したキングの挑戦はまだまだ続く。
これを読んで、これからもずっとずっとカズを応援しようと強く思った…
そして後一回で良いから日の丸をつけたカズが見たいと…
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- 事務局に通報しました。
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