チーム・スタイルの栄光(と挫折)16

  • フジ
    2010年12月04日 16:05 visibility66

2007年1月の試合で肩を痛めた筆者は、長らく投球不可能な状態になってしまった。マッサージや整体などで肩を治療する[d156]。


 


3ヶ月ほどでようやく投げられるようになったものの、それまで上段から振り下ろしていたフォームが、ややスリークォーター気味になってしまった。


 


余談ではあるが、この時期に筆者は肩の回復を祝ってユニフォームを作った。戦前の東京巨人軍のユニフォームを、いろいろな資料を調べ、著作権で引っかからない程度にちょこっと変えて作ったのである。これで野球の格好をした人数が増えたわけである(とは言うものの、ユニフォーム非着用率は俄然高いままであったが…)


 


この年の7月8日(日)に復活第3戦が行われる。相手は、これまで何度も戦った最強チーム。ありがたいことに、今回も遊んでもらうことになった。


 


この試合、現在チームの応援要員のおりえたんさんが初参加される。おりえたんは筆者と監督のあっ!くま・・・・さんの教え子であるのだが、筆者はうかつにも初め誰だか分からなかった。そのせいで、いつも監督とおりえたんから責められてばかりいる。


 


先発は若手を投入する。球速は遅く、荒れ気味のボールだが、かえってそれが功を奏したか相手チームは打ちそこねが多い。


 


我がチームは例によって貧打病で0の更新が続く。筆者も1打数1三振とまったくふるわなかった。


 


その打席に立つ前に携帯電話が鳴る。ボランティアで教えている学習者(中国人女性)からであった。


 


「先生、デジカメはヨドバシカメラとビックカメラのどちらが安いですか?」。


 


「うーん、どっちでも良いんじゃない?」


 


「じゃ、今度一緒に買い物につきあって下さい」


 


「いま、野球の試合をやっているから後でね。」


 


「なんで誘ってくれないんですか!(以下略)」


 


このような会話で調子が狂ってしまったというのは言い訳にはなるまい…。


 


4回から筆者がマウンドに上がる。病み上がりなので、押さえて投げるが、相手にとってちょうど打ち頃の球になったのか、まー、打つわ打つわ。これはアカンと思いカーブ主体に切り替えてなんとか押さえるがとき既に遅し。この試合、10対0でまたしても完敗を喫したのであった[d232]。


 


敗戦には慣れているものの、さすがにこのままではまずいということになり、9月にチームで練習をしようことになった。筆者も衰えた体力を向上させるべく、当時流行していたビリーズ・ブート・キャンプを購入したり、高尾山に何度も登ったりとトレーニングを重ねる。


 


そして9月9日(日)、チームの練習当日、思わぬ出来事がチーム・スタイルに起こったのである。

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