
草野球の運営とは、孤独との戦いである
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abehiro
2007年07月09日 13:44 visibility1550
今回は、うちのチームの代表(兄)が二年前に書いたコラムを紹介させていただきます。
僕はこれを読んだときに、目頭が熱くなりました。
このチームを大事にしたいと思いました。
本当にありがとうと思い、感謝しました。
(以下抜粋)
19歳だった私が作ったチームがなんと10年も続いた。
10年を振り返るとチーム運営とは常に孤独との戦いだった。
チームの方針、実力、相手チームとの交渉、グラウンド手配など、山のようにある雑用を黙々とこなす。
どれだけの時間を犠牲にしただろうか?
にもかかわらず自分の思いと違う方向にチームが動いていったとき、 「チームメイトたちはチームの運営というものがどれだけ大変かわかっているのだろうか?」
「もう辞めてやろうか?」
何十回、何百回思っただろうか?
今でこそネット環境が整い、グラウンドの手配も、グラウンドのある場所も、対戦相手も家にいながらに出来るようになった。
しかし、10年前は地図を見て大きな公園を見つけてはグラウンドがあるか調べ、あれば使用方法を調べ、 抽選に申し込み、対戦相手を探しに日曜日は野球場に行き活動しているチームに声を掛け、連絡先を聞き、 対戦をお願いして試合を行った。そんな休日を過ごしながら着実にチームの活動を軌道に乗せていった。
19歳の私が子供と一緒に出来るくらい続く野球チームを作りたいと思い、 友達同士でも一線を画し、規則を守らせ、しっかりとした運営を行なった。
しかし、友達同士なのにも関わらず一線を画し、規則を守らせるということは大変であり、孤独である。
10年の間にたくさんの草野球チームが出来、たくさんの草野球チームが潰れていったのを見てきた。
潰れていったチームのほとんどは代表者が孤独に耐えられなくなって辞めていくか、 皆でお祭り騒ぎで初めて飽きてきて自然消滅の2パターンに分かれる。
草野球チームというのはなんだか良く分からない集まりなのだ。
仕事でもないし、遊びでも遊びすぎると消えていく。
その時々に支えてくれる仲間はいたが、孤独を癒してくれるほどの存在になれる人はいるわけもない。
なぜなら、本気でやればやるほど孤独になっていくのだ。
そしてこの孤独感は本気でチームを運営したものにしかわからないからだ。
しかし、仲間のほんの少しの気遣いが普通の何倍も嬉しく感じたりもするのだ。
そしてこれからも私は孤独と戦っていく、仲間達と喜びを共有するために。
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- 事務局に通報しました。
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