スポーツを指導するのに子供とか大人の違いなど無い。指導の基本は愛情である。
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虎男
2017年06月25日 12:21 visibility287
昨日は試合だった。試合後、第一試合で先発投手をまかせたM君と居酒屋で遅い食事をした。M君とは野球の話飲みで、楽しい時間を過ごしたのだが、M君が話の中で言ったことがいまだによみがえってくる。第二試合にグラウンドを変更して試合をした際、二面のグラウンドで我々の試合の隣で小学生1,2年生の児童の野球チームの練習をしていたそうだ。私はベンチで試合のスコア付けをしていたので、まったくそれらはわからなかった。M君はライトを守っていたので隣で行われていた児童チームの練習で大きな声を出して怒鳴っている大人のコーチの声が耳につき、たびたび、そちらの方に目が行ったと言う。
ミスをした子供に対して捕球姿勢や、捕球後の送球をこうしろだの、足の位置が悪い、グラブの使い方が成っていないなどと速射砲のごとく「悪い部分だけを攻撃するような言い方」で怒鳴り散らしている様子だったとM君は伝えてくれた。そして、M君は「あんな1、2年生くらいの年齢の子供に、あれがダメ、これがダメって、しかも感情的になって吠えまくっていたら子供たちは”野球ってこんなことを言われなきゃならないスポーツなのか”と離れて行きますよ。あんな小さな子供だったら、まず野球の楽しさを教えてあげるのが指導者だと思うのですが。」と彼の持論を展開した。私はこう答えた。「学生時代に野球部やスポーツの部にいたことない奴の典型だな。」と。学生時代に部活をやっていれば、指導者に無理強いをさせられた覚えは誰にもあるだろう。しかし、それは忍耐を植え付けようとした部分で中学生以上は、それに対しての理解ができる年齢にある。しかし、小学生にとって、指導者と言う肩書がついた人間の「恫喝にも似た個人的指摘」はなぜそうなるのかを私はこう説明した。「指導者って事に対して、責任を持たなければいけない。威厳を示さなければならない。そして、なぜ吠えるのかと言えば、指導をしていると言う感覚を自分が感じていたいと言う低次元さと、自分の”お前よこうであれ!”と言う願望を伝えたいがための「単なる意味の無い押し付け願望」の最たるものだから、それを冷静な他人が見ていたら見るにも聞くにも耐えない姿に映るんだよ。」と私の持論を伝えた。
自分が過去に経験したことが無い人間は相手の運動能力の低さを見ると許せない人たちが多い。しかも、自分の運動能力を棚上げして、他人に対して平気で「お前のここが悪い!」と言葉も相手の気持ちも考えずに指摘して、「言葉の吐き捨て」を平気でやるのだ。こんな人間がコーチにいたら、スポーツの楽しさなど感じる子供たちはいないだろう。コーチの顔色をうかがいながらの野球をするようであれば、もうそれは少年野球の形をなしていない。バカが世の中にはたくさんいて、そんな場所で自分が集団のトップになり、怒鳴り散らしているだけで、指導などしていない事にも自らは気が付いてない。しかし、多くの保護者はチームを選ぶのに「厳しい指導者」を望む人が多いとも聞く。バカな話だ。子供に怒鳴るような指導者は指導者ではない。そして指導は子供も大人も関係が無い。指導はポイントを端的に指摘し、そしてそれに対してどういう練習が必要かをアドバイスを欲しい選手に対して考えさせるところがまず第一歩であり、その時間を少し取って「まずは自分の頭の中で必要な練習=課題に対しての対応するための一番必要なもの」を見つけさせる。長く時間がかかってしまい、「教えてください」と言われたところに「この練習が必要だよ」と言えるのが指導なのだ。どなってプレーヤーの欠点やミスを言うだけの「言いっぱなし」で終わっている指導者と呼ばれるバカ者が世の中にどれだけいることか。
その日に対戦した投手がスローボールの使い手で、ほとんどの打者がポップフライと凡ゴロの山を繰り返したことで「監督の第二打席に外野へものすごい良い打球が飛んで行きましたよね。あの投手に対して理想的なバッティングだと思ったのですが、何か秘訣はあるんですか。」とM君の質問が来た。私は彼にこう聞き返した「打席に入る前に自分のイメージって何?」
M君「それは、あそこのグラウンド狭いですよね。僕は右打者だから、レフトの柵越えができるんじゃあないかなって思うんですよ。だからレフト方向へ打球を飛ばしたいなってのが打席に入る前のイメージです。」
私「あ、やはりね。それで今日はどういう成績だったの?」
M君「全くダメでした。あのピッチャーの方は全部スローボールでしょ。そうすると、打てる。これだって思って降ったら、まだボールが自分のバットのミートゾーンに届いてないのに振ってしまっているからポップフライか凡ゴロになっちゃって、それを次打席で修正しようと考えていたら試合が終わっていたって感じなんです。」
私「レフトへ打ちたいんだよね。それって長いのを打ちたいし、自分自身打てる自もあるから思うんだよね?」M君rそうなんです。」
私「それって俺がうちのメンバーに言う”打ちたい打ちたい病」なんだよ。」
M君「え?打ちたい打ちたい病ですか?」
私「そう。高校野球やってきた奴の典型。もう自信がちょっとあるんで、柵越えねらっちゃえって言う色気出すって奴。それって今回の〇〇さんのピッチングの思う壺なんだよ。」
M君「え?どうしてですか?」
私「じゃあ、なぜ、俺がセンターオーバーしそうな打球を打てて、うちのチームの他のメンバーが打てなかったのかわかる?あの打球を思い出してごらんよ。」
M君「監督が打ったあの打球はセンター返しでしたよね。」
私「じゃあ、そのセンター返しをするために必要な練習は何?」
M君、うーんとうなりながら考えが出てこない。そしておもむろに「練習ですか?」
私「そうだよ。練習の時に毎度僕が指示を出してやらせているやつだよ。」
M君「なんでしょうか?」
私「トスバッティングだよ。」
M君「え?トスバッティングですか?」
私「トスバッティングを見たら、その選手が学生時代野球やってたかどうかすぐわかるよ。」
M君「どうしてですか?」
私「トスバッティングやらせると振り回す奴がいるんだ。意味がわかってないんだよ。トスバッティングをどうしてやるのかの意味が。」
M君「意味ですか?どういう意味でしょうか?」
私「トスバッティングはバットコントロールなんだけど、体がスイングした時に開かないような癖をつけるためには最適な練習なんだよ。そして投げてきたピッチャーに返す打球を軽く打つ。そこにはセンター返しを体に覚えこませるための練習であるわけで、トスバッティングでバットを振り切る馬鹿は、もうその練習の意図がわかっていないってことになる。センター返しを心がけることは、トスバッティングで体に覚えこませるってことだと考えながら僕はやっているんだよ。そうすると、いい打球がファウルゾーンに飛ぶなんてことは少なくなるってこと。」
M君「それって監督がいつもそう考えながら練習されているんですか?」
私「頭の中にイメージがあって、投手に返すって気持ちでトスバッティングをすることで、そのトスバッティングで覚えたからだの開かないことの強制をするって形を常に頭に入れながらやることが試合を想定した練習につながるわけでしょ。」
M君「なるほどです。」
私「それでセンター返しをするってことを決めると、大振りをしなくなるんだよ。そして、その時に一つの言葉が頭に浮かんでくる。その言葉ってなんだか知ってる?」
M君「言葉ですか?うーん。さあ、なんて言葉ですか?」
私「素直」ってことばだよ。素直にセンターへ打ち返すってことで、力みは取れ、そしてコンパクトなスイングができて、まっすぐ飛んでいくイメージを植え付けることができる。すなわち、ヒットに近い打撃の基本がそこにあるってことじゃあないのかな。」
M君「すごく良いお話を聞きました。でも、監督、それをきちんと説明できるところが凄いですね。」
私「指導って本来は指導者勉強しているかしていないかがすぐにわかるんだよ。野球が好きなら、どれだけ野球の実戦の場のなかでプレーをしてきて、多くの部分でどう感じて来たかを蓄積して来るからこそ、その引き出しから取り出してくる。しかも説明は短めに、そして実際にやってきた人の言葉は相手に伝えるに多くはいらないんだよ。過去にどれだけ野球で苦労をしてきて、それを後進に伝えて行こうと言う気持ちがあるか、無いかで指導者になる人となってもうわっつらの指導者の人との違いが出てくる。指導は愛情だってことさ。」
こうして、また野球の新たな一面を一緒に味わえる時間を持てた幸せを感じられた夜であった。
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