草野球の監督は心の中でネガティブで言葉はポジティブで行く

  • 虎男
    2017年07月04日 10:16 visibility1392

私の大好きな草野球のブロガーさんが非常に大切なことを書かれていた。「プレーでミスを犯した後のメンタルの立て直し」と言う事だ。これは皆さんが思っているより、後にひくものだろう。私は、今まで数回同じことを書いているが「ミスをおかした選手に対して、それを言及する監督は最低だ」と言う事。草野球でそれほど勝利が大切なのだろうか。勝利に向けての姿勢は良い。だが、一人のプレーヤーの気持ちを無視し、そして起きてしまったミステークをくどくど、しかもチームメイトだけでなく、相手のチームのメンバーですら見えるような場所において、大声で叱責する「デリケートさの無い監督」に対して、チームのメンバーたちだって「子供扱いしている」と思わない人間はいないだろう。私ならその場でチームを去る。そんな監督の下で野球はやれない。野球は「ミステークのスポーツ」で、それを「サポートしあっていくことがチームワーク」であると私は思っている。そして、私の監督としての言葉は、プレーヤーには厳しく聞こえてしまう可能性がある。それを常に考えてものを言わなければならない。なぜなら、基本は選手はチームの財産だからだ。その財産には個性があり、技術があってもメンタルの弱い人間だって存在しているわけで、全員を同じ扱いはできない。

 

監督は試合の中でスコアをつけながら、常に危機感を持って試合を見ている。その中で自軍の選手たちの良いプレーを見逃さずに、ベンチから良かった部分を大きな声で声かけをしてあげる。例えば内野安打にはなったがボールはなんとかストップさせて、一塁以上のベースへ到達させなかったサードがいたとする。私は即座に「サード、ナイスストップだぁ!」とほめてやる。エラーをして委縮してしまう選手が入れば、ベンチへ戻って来た時に「バットで返そう。試合はまだまだこれから、これから。楽しくやろう。たかが野球だ。」と言う。メンタルを軽く考えている監督も多くいるのだろう。だが社会の中でどれだけの人間が心の病に冒されているか。私は草野球の試合など、皆が楽しくできれば良いと考えている。勝つために、エラーした選手を怒鳴っているような監督の「器の小ささ」についていけない。勝ったからって、表彰されるわけでもあるまいし、草野球で生活している人など一人もいないのだから、それよりも仕事の方が優先なのだから。余暇の草野球で、その監督に叱責を受けるなんてこと私なら耐えられない。バカバカしくて話にならない。速攻で退部している。

 

 

だが、私は監督兼選手の立場で、選手を大切にしなければならない立場にある。しかし、選手が私といさかいを起こすような場合には「話し合い」を持って解決をするようにしているが、それを拒み、こちらからの連絡を拒否するような選手に対しては時間の無駄であり、関係修復不可能と判断するしかない。だからこそチームの仕事の一切は監督が「黒子」として全てやることと私はしているのだ。私以上にチームの仕事をしているメンバーがいないとなれば、私の姿勢を感じてもらえると考えているからの一つのやり方であり、そこに感謝が無いメンバーはチームにいても「チームを蝕むだけの存在」であり、悪影響の感染拡大をするだけだ。私がもし監督のやり方に不服があるなら、正々堂々監督の前で悪い部分を指摘し、さらには自分にはこういう案がありますときちんと代替え案を示して、それをチームメンバー全員の前で言うだろう。もちろん言葉遣いや監督をリスペクトする気持ちは持ってと言う事でだ。

 

長々と書いたが、監督は逃げも隠れもするな、そして常に選手を大切にし選手兼任の立場であれば選手が先、自分は一番最後と考えろと言う事だ。チームを想わずして、監督をやるなである。

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