オフの自主トレ
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虎男
2017年12月03日 11:36 visibility365
違うチームのS君からメールが来た。「明日の朝8時に、自主トレやりませんか?」と言う内容のショートメールである。すかさず「明日は仕事なので、その時間では仕事へ行くのに遅刻してしまうので、6時30分はどうでしょう?」と返事をしたら、即座に「では、そうしましょう。よろしくお願いします。」とのこと。私も即座に
メールで「前にやった時と同様に、ホームベース、キャッチャーミット、バット、M号ボール数個を持って行くよ。1時間少々やったら引き上げよう。」「了解です。」
土曜日の朝午前5時に起床。まずは大鍋をガスレンジにのせ、鶏のガラ1羽分を水で煮込む。スープの出汁作りである。出汁を作っている間にじゃがいもの皮むきにかかる。人参と玉ねぎ、ピーマンを切って、スープの中へ投入する。えのきだけがあったので、それも入れる。根生姜とニンニクをすりおろし、塩コショウで味をととのえる。月桂樹の葉を1枚入れて香りづけを。午前6時になるまで自分のその日の食事の「野菜分」を摂るために野菜スープを作ってS君の来るのを待っていた。私のチームには2人のメンバーが「大腸癌」になって手術をしている。私が思うに、普段の食生活やストレスの大きさが生身の体に影響していると思っている。少なからずも大好きな野球を継続するため、仕事に突発的な病気や怪我などで休まないために、普段からの食生活に対しては相当気を使っている。無農薬の米、野菜を食べるようにしているのだ。しかも、全て自分の手で料理しているので化学調味料など一切使わない。これで体調が整えられて、強いからだが作れるのであれば、そういった食材を高い値段で購入しても無駄な投資だとは思えない。入院費、治療費、薬代、これを体調が悪くなってから支払うとしたら普段からの食生活へのこだわりが絶対に違ってくる。どんなに疲れていても食事はインスタント食品を口にしないのが私だ。料理が得意なので、どんな時でも手料理を作る。そして自分で食材を買いに行く。これが私のスタンスである。
少々話が脱線したが、健康を維持することが人生の勝利であると私は思っている。そして、健康を維持することは、すなわち野球を続けられる可能性が高くなるわけで、私は今後も高い無農薬の食材を買い続けていくだろう。
朝6時に自己所有するホームベース、M号ボール数個、バット1本、キャッチャーミット1個を用意して自宅前でS君が来るのを待ち受けた。もちろん、座って待っているわけがない。彼が来る前に柔軟体操を終わらせておく必要があると思って、入念に柔軟体操を行っておいた。S君が車で来た。彼も私と同様にユニフォームパンツを着用していた。これが重要なのだ。なぜなら、野球をやる上で、ジャージのようなものを着ている人たちがいるが、それって「試合想定をしてない格好」なのだ。試合をするのにジャージでやる野球選手は一人もいない。練習をするのに、「ユニフォームなんて、帽子なんて着用するのは格好悪い」と言うプレーヤーは野球を止めた方が良い。野球の練習を「練習のための練習」であると考えているからこそ、そんな発想になるのだ。野球はユニフォームでやるのだから、最低限、一番動かす足にユニフォームパンツを履かないのは「プレーヤー失格」である。
S君との早朝練習は2度目である。彼は学生野球をずーっとやってきていて、大学でも野球部だったと言う。こういう長いキャリア―を持っている人物との野球の練習は多くを吸収できる。話も野球の話だけだ。キャッチボールだけの練習ではあるが、こちらはキャッチングを、S君はピッチングをする上での工夫と、私との会話の中から投球するのに試してみる価値があると思ったことを実践する場でもある。45分くらいやって終えたのだが、彼が「サイドスローが投げやすいですね。ただ、自分のサイドスローに関してはボールのリリースの瞬間に手首を立てない方がしっくりくるんですよ。」面白い話である。多くの野球の解説書などには「サイドスローのピッチャーのボールを握って、腕振ってボールをリリースする前には自然と手首が立たないといけない。」ような事が書かれている。それをS君は「自分は手首を立てない方がしっくり来る」と言うのだ。私はすかさず「私の持論は、人間は相手の体の構造は簡単にはわからない。絶対にこれだと言うことを断言できることは私はアドバイスを与える時には避けている。そして、そのかわりにトライをしてみてしっくりくるか、そうではないかを感じ取ることが重要で、しっくりくれば継続すれば良いし、しっくり来なければその形をやめて他のスタイルを選択するべきだと思っている。強制は絶対にしないんだよ。」と答えた。私は体育会の部活時、さんざん「押し付けられた指導」を受けた。煮えくり返って、その先輩を嫌いにもなった経験がある。しかし、上下関係はひっくり返せない。私は、その地獄のような押し付けられた1年間に「1年間だから我慢する」と言う決意をもって先輩の押し付け始動を甘んじて受けた。しかし、その次の年に「幹部交代」で責任が発生した立場で部活の中心責任を負うことになったら、いかに先輩たちが苦労されていたのかが痛いほどわかった。押し付けられたと思ったのは、その時の責任の重さを「お前ら大学二年生が、今このきつさに耐えなければ、今後入って来る後輩の指導はできないぞ」と言う辛口のメッセージであったのだと今では理解している。だが、私は自分が他人に自分の考えを無理に押し付ける必要が無いと考えているのは基本的な私の指導のスタイルなので、これは今後も継続していくだろう。
朝7時50分にS君と別れ、すぐに自宅へ戻り、朝飯を食べて背広に着替えて職場へ向かった。12時間勤務と言う厳しい状況が待っている。でも、仕事から目を背けるわけにはいかない。職が自分を支えてくれているのは紛れもなく事実なのだから。
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- 事務局に通報しました。
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