常に危機感のチーム管理運営業

  • 虎男
    2019年02月24日 12:00 visibility505

4年前から徐々にチームに入部してくるメンバーが増加し「形」になってきた。その前は、メンバーの大半がIT企業に勤めていて、東日本大震災後は「休日出勤」が毎週あって、運営側がグラウンド確保しメンバー全員に連絡をしてもMAXで4人集めるのが精いっぱい。グラウンドへ行って、やれる練習は「限定された練習」だけの面白みに欠けたものばかり。それでもスケジュールは作らなければならなかった。理由はチーム運営をしていることと、部費を預かっていることである。振り返ってみたら、怪我で休部しているものなども含めてほとんどのメンバーが活動に出てこられなかったことの「苦しさ」は、運営、管理、会計、連絡、対外交渉をしている自分にとっては十分な「戒め」になった。

 

私の祖父の座右の銘が「地において乱を忘れず」と言うもので、祖父は徳川家直参旗本の末裔でもある祖父にとって、明治維新の激動期に武士から平民になって自分たちの階級社会も通用しなくなった事で「今まで自分たちが恩恵を被ってきたことが、今後は生きていく上で自分の実力を持って多くの人間たちとの競争になるってことを嫌が上でも感じてきた」からこその上記の言葉なのだろう。さらにこの言葉は災害にもあてはまっている。私の父は大正生まれで関東大震災を幼少の頃に体験していると聞いている。想像を絶する地震だったそうで、父は自宅の召使に抱きかかえられ、大八車に乗せられて将棋山へ逃げたと語っていた。災害もいつ何時襲って来るやもしれない厄介なもの。平常時こそ、準備が必要であり常に逃げられる体制を整えておけと言うことにも「地において乱を忘れず」の言葉はその意味を教えてくれている。

 

人数がだんだん増えてきて、チームが充実してきたことは正直、運営管理者の自分には「やる気」と「励み」になったが、隔週1度のチーム活動日で、どれだけ活動を重ねないとチームとして機能してくるのかが、わからなかったが、私流のチームメンバーブレンド術の一つ、「チームで試合を重ねること」で、メンバー間の垣根が取れてコミュニケーションが深まると言うのは第1段階で作ったチームとほぼ同じであった。

 

試合だと集中力が違う。一緒にプレーをしていれば、どうしても名前を覚えなければ「連携プレー」ができない。連係プレーだけじゃあなく、あるメンバーが適時打を打ってベンチへ戻ってきたら、ハイタッチをして迎えるのに笑顔が出ないメンバーはいない。その時にそのメンバーの名前を呼ぶ。あっという間にメンバー間でのコミュニケーションが深まり、野球以外の話まで飛び交うようになってくる。これを私は「ゲームマジック」と呼んでいる。同じ目標に向かって一丸となるチーム活動。そこには、全員で一つのボールを追いかけるための集中力と相手チームとの競いの中で、同僚メンバーの個性がプレーの中で「もろ見え」になる。チームを作るうえで、チームメンバーが知り合い同士になってくるのを見る醍醐味を味わえることのすばらしさが15年目を迎えて二試合を消化した今でも「自分をつきすすませる原動力の一つ」であると感じるのである。

 

だが、組織管理には常に「危機感」があると思っているべきだろう。今年も新生児誕生で、1人が休部になった。現在休部者が4人。そして仕事の都合でこの寒い時期に活動に出てこられないメンバーも数人いた。病気も気になるし、インフルエンザ感染になるメンバーもいないとも限らない。どう考えてもリスク満載である。それでも管理運営者は日程を作り、毎月同じことを繰り返して活動を作っていかなければならない。それはメンバーとの約束であり、部費を預かって運営費に充てている責任であり、何よりもチームメンバーに対する管理運営者しての「彼らへの感謝」の表現だからである。

 

うちのチームのモットーはメンバーも相手チームさんも、助っ人さんも、派遣審判員さんも、チームメンバーのご家族に対しても「人を大事にする」を基本に14年間やってきたことだと思っている。でなければ15年目のシーズンを迎えられているわけがない。

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