合併に揺れた、あの夏を思い出してみる。

トライアウトネタを書いていて思いだしたことがありました。

 このトライアウトが出来た一つの背景・・・球界再編問題のことだ。 

 

ストライキを決めたあの時確か、自分も大阪にいて、

東京に帰る際、古田と同じ新幹線だったらしく、ものすごい報道陣で新大阪駅は改札もホームもごった返していたのを思い出す。

 

翌日の朝、バイト先には合併反対の署名をしに全国からやってきたファンの方(団体)がやってきた。

(申し訳ないのですが、接客業に携わってたのに俺団体が凄く苦手で当初めっちゃ嫌な顔してたはず。すみませんw)

 

パリーグ話で盛り上がってたとき、 誰か一人が語った

「パリーグひとつでこうやって話題を作ることが出来た。

今後この話が出来なくなるのは正直困る。

だから僕らの好きなパリーグが無くなるのは絶対に嫌なんですよ。」

 

そんな言葉を今思い出した。

 

現実を言えば12球団が限界に来ていたとは思う。

SHINJOが「これからはパリーグです」 と発言していて、バイト先でも

西武ファン・ロッテファンのみんなで野球を見に行こうか?なんて話していた矢先だった。

(みんな野球がほんとうに「好き」だから喧嘩はしないw)

ただ、事態は我々が思っている以上に深刻であった。

 

NPBではなく、メジャーリーグに選手が続々と流出し、全体のレベルが低下していたし、

日本ハムの北海道移転初年、観客が全く入らなかった時だった。 

合併の話が出たとき、「レベルが低くなったからかなぁ・・・」と思ったものだ。

高校野球でも松坂世代以降の「不作の年」が続いたり、

プロ野球のラジオ中継を聞いててもグダグダな試合展開だったりとかあったから、正直致し方ないかなって思ってた部分もあった。

(高校野球で継投とかもあったしねぇ・・・)

また合併される近鉄バファローズは親会社の近鉄は志摩スペイン村なんて言う地元とのあり得ない契約を締結してしまったが故に巨額の赤字でも辞めることの出来ないリゾート開発に手を出しちゃったものだから、銀行から「球団を手放せ」と迫られたわけだし、

車や電車で1時間圏内の関西(関東ならまだしも、経済的落ち込みが激しい関西であることもポイント)に3球団有るほうがある種異常だったともいえるだろう。

 

でも、結果として12球団2リーグ制になって良かったと思う。

それはファン全員の行動が楽天になり、

選手はファンについて考えることとなり、

球団側も球団経営という事を見つめ直す良い結果になったはずだから。

 

もしこれがもう一つの合併で10球団になっていたらどうだろうか。

福岡と千葉が一緒になってたらどうなるだろうか。 

 ボビーチルドレンと言われる選手達が出てこなければWBCで世界一になってた可能性はなかったし、

レギュラーが取りたくてロッテを逆指名した里崎は城島の2番手で腐っていたかも知れない。

 

次回は合併後のことについて書いていきたいと思います。

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