開戦日だと言うけれど


12月8日は、母方の祖父の命日。
私はおじいちゃんに会ったことがない。
でも、おじいちゃんは私を知っていた。

おじいちゃんが亡くなった時、私はまだ、おなかの中にいた。
会ったことはないけれど、自分の存在を知っててくれたことは、ありがたいことだと思う。


おじいちゃんの話をしながら、母と青山霊園に向かった。

歩行者信号は青。
でっかいトラックが、横断歩道の真上に停まっていた。


このトラック、信号つっこみすぎだよねぇ

ったく、危ないわねっ


と、トラックの影にとまり、右をそっとのぞきこんだ瞬間・・・。

信号無視して突っ込んできた1台のバイクが目の前を通り抜けた。


バイクに跳ね飛ばされるところだったわ!
墓地に行く前に、二人して死んだら、マジでシャレにならんっ(怒)

奇しくも、おじいちゃんの命日に・・・。

ってことで、きっと、おじいちゃんが母と私を守ってくれたんじゃないのかなぁ。
・・・ナンテね。


つつがなくお墓参りも済ませ、


死んだら、このお墓に入りたいわ。

私も、ココがいいなぁ 散骨でもいいんだけどね。


などと話しながら、品川駅へ。

エキナカ ecute(エキュート)の「wanofu(わのふ)」の鯛飯、めっちゃ美味しかった。


白飯と、炊き込んだ鯛飯。
ゴマだれに漬けた鯛のお刺身に、焼いた鯛。
お茶漬けの出汁。

1、白飯に、ゴマだれのお刺身を乗せて。
2、さらにそれに出汁をかけて。
3、鯛飯と焼いた鯛、そのまんま。
4、さらにそれに出汁をかけて。
5、鯛飯にゴマだれ、さらに出汁をかけて。

お好きなように、召し上がれ。
ゴマだれと、鯛の出汁がこんなにマッチするなんて、ビックリだった。
ひつまぶしのように、何度も美味しい鯛飯だった。


おじいちゃんは、養子に入った。
それが、母の旧姓。

かと言って、婿に入ったわけではない。
親族の「名字」を残すための、養子縁組。

おばあちゃんは、やっぱり別のところに養子に行っていた。
けど、結婚してしまったので、養子先の「名字」は別の人が「婿入り養子縁組」という形で継いだ。

と、ややこしや〜の話を聞きながら、


それって、生みの親と、戸籍上の親がごっちゃごちゃになってるわけ?

もし、アンタが二人目産んだら、その子の名字をウチ(私の旧姓)に変えるのもアリね。

産みませんっ。
でも、私のイトコたちが結婚しないままだったら、ママの旧姓なくなっちゃうねぇ。

ま〜、しょうがないわね。

もしさぁ、私が3回結婚して、3人とも違う父親の子ども産んだら、どうする?

あら、3回も結婚できるの?

できませんけど・・・。相手見つからないし・・・。そういう問題じゃないし・・・。

ま、いいんじゃない?孫の数増えるし。

・・・今どき、孫が1人いるだけで幸せよ。ありがたく思ってよね。


・・・と意味不明な会話をしながら、
どっちにしろ、同じ相手との間に2人以上産まないと、自分の旧姓は間違いなくなくなるってことで・・・。
私にとっては、それはわりとどうでもいいことで・・・。
(10年くらい前は気にいていたけれど。)

親族を形成する「名字」がドンドン変わっていく・・・ってことなんだなぁ。



おじいちゃんが養子入りした「名字(母の旧姓)」の人って、前の世代、誰?

知らな〜い。


・・・「名字」を残すために画策した何十年も前の苦労は、
私たちの世代でその「名字」は潰える可能性も高く、
かつ、
子孫たちは先祖を知らず、「名字」に・・・実体がナイ・・・ってことで・・・。

エ〜?



その後、川崎の近くのとある病院へ・・・。

母の姉、伯母が入院しているところ。


糖尿病で、
足も切断してて、
認知症で、
1年以上何も食べていない、飲んでいない。

食べ物を食べて、体内で分解して、栄養を取る。
だから、「動物」なのに。

胃から直接栄養を流し込んでいるだけなんて・・・。
「動物」じゃないじゃん。


私が8才の時、

ばんちゃん(←伯母のこと)は、私の5倍の年齢だね〜(笑)

うるさいっ。
二人ともあと1000年も生きれば、限りなく1倍になるのよっ!


なんて会話してたなぁ。
今は、ちょうど2倍になるところ。

もっと長く生きてくれれば・・・限りなく1倍・・・に近づくね。


ばんちゃん、(私の)おばあちゃんの年齢と同じになっちゃったねぇ。


いつもは、不機嫌な顔ばっかりで、
興味なさそうにプイ、とするか、
目をつぶってイヤ〜、とするか、
眠ってしまうかなのに、

今日は、「ンア〜〜〜〜」と声も出してたし、
珍しそうに、ずっと凝視されてたし、

母は、ちょっと嬉しそうだった。


ひょっとしたら、おじいちゃんがそばにいたのかもしれない。
おじいちゃん、ついてきちゃってたのかな(笑)
おじいちゃんのおかげだったりして。


ばんちゃんの機嫌と、おじいちゃんの命日に感謝☆



病院を後にして、川崎駅前を歩いていたら、

「今日は、太平洋戦争が始まった日です〜」

と、ビラ配りをしていた団体があったけれど。


真珠湾・・・開戦日っていうけれど、私にとって、今日はお父さんの命日、なのよねぇ・・・。

と言っていた母が印象的だった。

私にとっても、そうだよ。



神妙になるというか、感傷的な日でした。


おじいちゃんには、

ナギです。
こんな感じになりました。
息子は5才です。
今度お遊戯会です。
見に来て下さい。

とお話しときました。


母は、どんなことを報告したのかな〜。


長々と、読んでいただきましてありがとうございました。

では〜これにてっバイチャでござる。












































































































































































































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