生存報告
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DIME
2009年06月10日 00:40 visibility128
生きてます。生きてるだけですけど。
Gストリームを見ていて感じるのは、野球ってスポーツがやっぱり時間というくくりでは難しいスポーツなのだなぁということ。
たとえば6月8日の試合の2回裏、三者凡退に終わったイニングです。
これが、6分44秒あるわけですけど、2人目の中井大介の打席を見ようかなぁと思って見続けていて、中井の打席になるのがようやく5分過ぎ。
阿部一人の打席が5分で、残り2名が1分45秒、投手とはいえ、3人目は三振なんですけどねえ。
やっぱり根本的に野球と時間というのは相性が悪いというか、そもそも時間を何らかの客観的基準とするようなスポーツとして設計されてないんでしょうねえ。
中井はあんまり代わってないですけど、いいじゃないですか。このまま存分に変化球だけで徹底的に押し込められてしまえばいいと思います。
ヒットのときみたいに甘く入る変化球だってあるわけですしね。果たしてその可能性に欠けるのが効率が良いのかどうか、については気づいてもらえればいいんでしょうし。
あと、スローイングはあのまんまなんでしょうか。
投手していたときにそんなに投げ方下手だとは思わなかったんですけど、ルーキーの年に気づいたら危なっかしいなぁという印象をもつようになっていて、そのまんま。
いやまぁ、私は個人的には、「正しい形」で「正しく捕球」して「正しく投げる」ことだけが唯一絶対の正解、みたいな古い野球論は苦手だし間違いだと思っていますから、あれで成立するならもうそれでいいんですけどね、怪我さえなくて、ある程度守備が成立するなら、見た目なんてどうでもいいことです。
あ、クロスケさんの記事が非常に面白いので紹介。
私も同じようなことを良く感じてます。ほんとうはもうちょっと丁寧に書きたいんですけど、ご容赦を。時間があれば日本語で書きますので、ほんと下手でごめんなさい。
データの有用性に対して、「比較的」有用であることを求めているのだということを理解されていなくて、絶対的有用性に到達できない時点で同列である、よってデータを重視することの価値を低く見るってのは賛同できなくて。
0も0.90も「1ではない」のだから同じである、って論理は同意は出来ないんですよねえって話。
そもそもほとんどの人からすれば「1は絶対に到達できない真理である」という前提があると思うんですよねえ。それを前提とした上で、数字を増やそうとしているのであって、そこに「1ではない」という指摘を持ってきたとしても若干的外れでしかないっていうか。
まぁそういう話なわけです。
もう梅雨入りですか。
革靴に可哀想な季節がやってきました。
東京から戻ってきた痛感するのは、沖縄から北海道まで結構広い日本を同じくくりで服装論じるのはどうなんだろうなぁということ。
シャツの下に機能性下着をつけるか否かってのは、こちらではもはやファッションがどうとかいう問題じゃないんですよ。
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あぁ、そうそう。
やるならば、1つ。
まだまだこれからも打線を弄るつもりであるのならば、そろそろ検討されても良いんじゃないでしょうかねえ。
一番亀井、二番坂本。
坂本には「ニバン」の仕事は全くいりません。
というか逆に今の状態からバッティングを何も変えてはいけません。
それさえ出来れば2番で十分機能するはずだし、変な「固定概念」を突き破るっていうサブの目的を考えるのだとすれば、1番よりも2番に固定されてくれたほうがありがたい。
今の亀井の数字ならば1番も務まるでしょう。
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- 事務局に通報しました。
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