巨人軍とは何か。
-
DIME
2007年12月08日 14:35 visibility96
なんか色々言われているようなんで、ちょっとだけね。
何度でも言いますが、優れた選手を補強した事によって、他の選手が居場所を失うのだとすれば、その程度の選手さえ越えられないその選手が悪い。
現状のFAでは、資格を得る頃には旬の時期を越えている選手が大半、外国人選手は今の球界では「助っ人」ではもはやない、潜在能力には大差ない。
その程度の壁さえ超えられないようであれば、たとえその壁がなくて出場してようが、優れた成績など期待できるはずも無い、私はそう思っています。
本当に優れた選手なら、どんな固い地面に埋もれようが分厚い壁に押し込められようが出てきます、それが出てこないのであれば、そもそも優れた選手がいないということです。
存在しない優れた選手など、ねだりはしません。あの壁がなかったら、など仮定の話を重視する気は有りません。
巨人の主力たるもの、そのポジションで球界随一であることが目指されるべき、平均程度の主力や平均以下の主力など、どれだけ使われようがまったく意味の無い存在です。
今年は個人的事情から半分ほどしか見れませんでしたが、世間にいる巨人ファンの中ではもっとも2軍を見ているほうに属すると言う自負があります。
去年までの巨人の2軍で1軍にいる補強選手を超えられる可能性を見せる選手は特に野手ではほぼ居なかった。いるのであれば去年出てきていますよ。
投手偏重のドラフト指名を続けてきましたのでそれ自体は当然のことにしか過ぎないのですが。その分だけ投手は若いのが出てきているでしょ?
オールスター前に大きく沈む。そこから去年の巨人は更に沈み、今年の阪神は這い上がってきた、その違いはなんです、若手でしょう。
去年の巨人だって若手は使った、使ってもらえた、でもダメだった。去年の日記に一例を出しています、否定的な報道が若手にチャンスなど与えられていないような印象を生み出しているだけ、若手は使いました。全然ダメでした。
阪神の若手は巨人の若手と同じようにちょっとだけ与えられた最初のチャンスでそこでモノにした、使わせたいと思わせるだけの結果を見せた。
出て来れないんじゃない、無いんです。育ててやっていないんじゃない、伸びてないんです。
阪神から出てきた若手は、傍から或いは当事者の阪神ファンから、2軍で腐らせるな、もったいないと事あるごとに言われ続けていた選手たちでしょう。でも彼らが出てこれやしないほど補強し戦力を固めていたでしょう、だからこそ今年そこが崩れた後に彼らが補っての躍進が合った。
元からそれらの選手を1軍で使っていたとすれば果たしてそもそもこれだけ勝てていたでしょうか、彼ら若手は最後までやりとげられていたでしょうか、まだまだだったでしょ、飼い殺しだと揶揄する人が思うほどの力はなかったでしょ。
2軍で腐り果てさせてしまうのを覚悟するぐらいの選手層がなければ今の阪神のような毎年優勝争いをするような強いチームはできやしない。2軍で腐っているといわれるような選手が本当は1軍で使われるだけの力を持っていないだけだなんてよくあること。
今年の巨人の2軍を見ていて、ようやく高卒に可能性が見える選手たちが出てきました、今ようやくです。
中日の荒木は5年かかりました、日ハムの田中賢介は7年かかりました、森本も7年、森野も7年、栗原が5年。高卒はそんなもんです。
今年、2軍でちょっと原石が光っただけで、もう育成は出来たとか次代を担わせるべきとか、我慢して使うべきとか、甘っちょろいこと言ってんじゃないですよ。
彼らに来年など求めていません、再来年すら求めていません、もっともっともっと先です。中途半端に生育途上の畑を荒らすぐらいなら、大きく育ちきってから収穫する、それが本当の主力選手の育成というものです。
巨人軍は強くあれ、大日本東京野球倶楽部、そしてその前身の全日本軍は、各地の伝をつたい、優れた選手が居るとの噂を頼りに東奔西走し、無理を通して契約を結ばせて生まれました。
V9は、ドラフトの無い時代になりふり構わずどんなことをしてでもかき集めた優れた選手たちが礎となって生まれたものです。
巨人軍の原点はそこであり巨人軍の全てはそこに有ります。巨人に直接入団したからといってそれを理由に青瓢箪が優先的に使われるような、「勝負の場」を“育成”と言う異物で穢すような、そんなチームではありません。
使える限りの選択肢を使わなくなるようであれば、もうそれは巨人軍では有りません。
確かに、育成と言う観点から若手を重用することで生まれる強さもあるでしょう、成長もあるでしょう、人気もあるのかもしれません。しかし、そんな選択肢を選ぶということはこれまで巨人軍が培ってきた歴史、巨人軍のアイデンティティそのものを否定する行為です。そんな道を進んでかつての地位を回復したとて、もはやそれは巨人軍ではない。
巨人軍には巨人軍のアイデンティティに拠った育成手法、育成の歴史、育成の成果が有ります。その手法しか育成手段は無いのかといえば勿論否、それ以外にも育成のやり方はあるでしょう。でもそれは「巨人軍の育て方」ではない。
巨人軍は紳士たれ、紳士とは控えめにあることでもなんでもない、力を駆使し、法を定め、他を制し、強くある、それは非紳士的な行為などではない。紳士とは平和主義者でも無いし“いいひと”でもない。
自らのもっている影響力を“紳士的に”行使して自らの都合に合わせて法から定めていく、紳士的に強いとはそういうことです。
巨人軍は球界の盟主でもなんでもないのですから、盟主で無い1球団が1球団の価値の最大化を考えるのが当たり前、それこそ「巨人はもっと球界全体のことを考えた行動をすべき」と言う主張は巨人軍が球界の盟主であるという前提でないと成り立たない主張だと自覚した上で発言すべきもの。
1球団としても球界全体のことを考えなければならないと言うのであれば、巨人より先に批判すべき球団が多数あるでしょう、最低限の基礎の基礎である、観客動員でみても巨人より客を呼べてない球団(別に単純数値で越せとは言いません、都市圏人口比率・収容人数等で補正しても巨人以下はいくらでもあります)、つまり巨人より努力が足りてない球団は全体の半分以上です、彼らは巨人より球界の為になっていない。球界全体のことを1球団にも負わせるのだとすれば、その矛先は巨人だけに限られるものではなく、12球団全てに平等に向けられるべきです。
まぁ私は1つ1つの球団がみんな球界全体のためを持って動くべきだとはそもそも思っていません、球界全体を考えるのはコミッショナーを頭としてNPBが音頭をとるべきことです。各球団に球団の利益と球界の利益という時によっては相反する2つの目的を両方とも背負わせようとするのがそもそも間違いです、これは「現場」と「編成」を分離すべきだと言うことにも繋がってきますが、相反する可能性のある目的はその責任機関は分離させなければ正常には機能しません、それこそ今のNPBのように。それを怠り、球界全体を考える、その責務を安易に巨人に押し付けているのが「球界の盟主」という言葉ですよ。
巨人1球団の利益の最大化が自動的に球界の利益最大化になってしまっている、何故かと言えば他球団が巨人がもたらす利益のおこぼれで生き延びれば良いというビジネスモデルだったから。
そんなことだから盟主扱いになるんですよ、盟主を自認したんじゃない、盟主に祭り上げられたんです、自らがすべき努力を放棄してきた者たちによって、彼さえ努力すれば大丈夫だ、とね。
巨人軍が自らにとって、都合のよい法を定めようとするのは1球団の活動としてあまりにも自然、それが通ってしまう事の責は巨人のもたらす富におもねり巨人の声に唯々諾々と従ってそれを受け入れてしまう他球団にこそあります。
礼儀を重んじ教養を修め、そしてそれを持ってして全力で自らの望むものを得る、証明の出来ない黒など、白と同じです。それが紳士であり同時に強くあると言うこと。
強さ以外を求めたら巨人軍は終わりです、もうそれは巨人軍ではない。強さの先にしかないものを、強さより先に求めてはなりません。
持てる力の全てを駆使し、使える限りの選択肢を使い、覇道を進む。
それを傲慢と呼ぶなら傲慢で結構、驕りと呼ぶなら驕りで結構、ただただ、巨人軍は強くあれ、それを追求するのみです。
ただ愚直なまでに強さのみを追求し続けた時にあった栄光を、強さの追求をしないことで取り戻せると勘違いしてはなりません。さきにあった栄光が強さの追求をしないことで生まれていたのだと偽証に惑わされてはいけません。
巨人とは、巨人軍とは、そういうものです。だからこそ私は巨人ファンです、私は傲慢と呼ばれようが傍からどう蔑まれようが嗤われようが詰られようが自分の望む道を行く、そう有りたいと生きている。その理想の姿が巨人軍の歴史です。だから巨人ファンです。
私の世代で巨人ファンだと言い続けるというのは、年長の人が思うほど簡単なものではないですよ。
強さの追及をやめてしまったらもうそこにたとえ球団があったとて、それはもはや巨人軍ではなく、巨人軍が存在しない以上、巨人ファンはもう存在しえません。
-------------------------------------
人気blogランキング>[Category:野球]
-------------------------------------
- favorite34 chat9 visibility96
- 事務局に通報しました。
chat コメント 件