移籍に至るまで(長いのでご注意を)
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片野 寛理
2015年07月24日 18:14 visibility37
香港で2014-2015シーズンを5月10日に終え、クラブからは6月15日以降に来シーズンの話をすると伝えられた。
実はシーズンが終わる頃に、契約延長の話をもらってはいたが。。。
これはあくまでも予定。
新しいクラブでやりたいという思いもあったし、香港に来たのはタイに戻るためというのもあり、
時間があるのは、僕にとっても良かった。
そう思っていると香港のあるクラブからオファーがあった。
クラブも監督も本当に真摯に対応してくれたし、思いのあるオファーを頂いた。
監督とは直接会って話をしたし、GMともメールで何度もやり取りした。
その後の予定を正直に話したが、それでも最後まで結論を待つと言ってくれた。
まず先に向かったのはこの国。
伝統的な服、ロンジーを着て歩く女性たち。
6割弱の人たちが、ロンジー(ビルマ語;လုံချည်)を着ていたかな?
宝石でも有名な国のミャンマー。
ここで、あるクラブの練習に参加してテストを受けた。
ここには松本 憲選手がいて、宿泊は憲、Junior、 Zivkoが一緒に住んでいる家にお邪魔させてもらった。
憲を始め、みんな本当に良くしてくれた。
ある日の夜。。。
この時期にシンガポールで開かれていたオリンピックのような大会(2年に1度開かれているSEA GAMES;South East Asian Games)があり、
ミャンマー代表の試合を見て、Juniorが作ってくれた料理を食べながら、みんなで楽しく過ごした。
匂いは全く違うけど、タイと同じような空気感が漂うミャンマー。
帰る時には土砂降りな感じもタイっぽい。笑
1週間で2試合をCBとしてプレーした。
このチームは3バックを採用していたため、新しい経験ができた。
オーナーからは良い返事をもらえた。
オーナーと監督、そしてチームスタッフ全員が揃った中、契約の話が始まった。
この時、気をつけないといけない事がある。
エージェントがいるなら大丈夫だと思うけど、もし、選手自身で交渉するならね。
何かと言うと、クラブ側が契約に前向きな時でも、そうでない時でも驚く部分は多々あって、
例えば...クラブ側が選手を獲得する気持ちがある場合、契約内容の確認もなく、いきなり契約書にサインを求められたり、
契約書にサインする前に、ITC;International Trancfer Certificate(国際移籍証明書)の要求をされたり、パスポートを渡してくれと言われたり。。。
そこで流されずに上手く返さないといけないんだ。
僕はもう知っているから、”契約がまとまってからね”とは言ったけど、初めて他国でプレーする選手は戸惑うだろうね。
移籍マーケットが1週間後に締まるため時間がない状況だったから、1日だけ時間をもらって考えることにした。
憲、Junior、Zivkoともたくさん話をした。
後期に予想される事やチームの感じ、来年の事、オーナーの事など。
僕自身も香港か?ミャンマーか?、それとも新たにタイに挑戦するのか?
いろんな人に話をしてアドバイスをもらい、最終的に下した判断は、
タイへの挑戦だった。
6月11日の早朝にミャンマーを出て、タイ、バンコクに到着し、そのまま乗り継いでスコータイへ向かった。
空港からスコータイ市内のホテルに向かっている道中、懐かしい雰囲気も感じたけど、全く知らない国に来た感覚もあった。
その日から練習に合流し、2試合のテストマッチをした。
ここにも日本人プレーヤーの中川 勇人選手やOSOTSPAで一緒だったPangがいて、チームの事を教えてくれたり、プレーしやすくしてくれた。
1試合目はCBとしてプレーした。
やはりCBの需要は多い。
でも、サイドがゲームを組み立てる上で重要な役割を担うなら、守備においてもSBは重要なはず。
だから、誰でも良いという訳にはいかない。
もう少しサイドが攻守ともに大切だという事を分かって欲しいな。。。
そう思うのは、僕がSBやりたいからなんだけどね。笑
2試合目は後半から出場。
ここで1つサプライズがあって、プレーしたポジションはトップ下。。。
高校1年の時以来のポジションだし、チームは0−1で負けてるし。。。
そんな中、僕の働きは1得点1アシスト。
チームとして僕が機能することを考えると、すでに真ん中で受けることが怖くなってしまっている僕でも結果を出すことができる。
チームは逆転勝ちをして無事に終了。
それにしても、16年ぶりにkick offをトップ下で迎えた時は、なんか恥ずかしかったな。。。笑
その試合の後にクラブからは、良い返事をもらえた。
ただ、とても迷った。
ポイントはカテゴリーがPremier Leagueの1つ下のカテゴリーである事。
”今と未来”のイメージの中で、何を1番したいのか?
どこに行っても”確実”はないし、それぞれメリット・デメリットはある。
だから、公私ともに新たな経験ができ、楽しめそうな場所を選んだ。
チームメイトのタイ人選手たち。
33歳にして4つのクラブを選べる状況だった事は、幸せな悩みだったのかもしれない。
それに、今回の移籍が決まった時に、タイでまたプレーする事を多くの人が祝福してくれた。
特にタイ人が。^^
逆に、香港で応援してくれていた人たちは寂しがってくれた。
全て自分の力でやってきたなんて思っていないし、自分1人の事だとも決して思っていない。
けれど、やっぱりサッカーができるだけ幸せだと思ってしまったら、選手としてそれ以上の事は望めない。
ここに来た理由もハッキリしてるし、将来に描いてるものを”確実”にするために頑張ろうと思う。
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