海外で活躍する日本人選手�−台湾編

現在の台湾プロ野球リーグは1990年に発足し4チームによるリーグ戦が行われている。

アジアシリーズなどで名前を聞くこともある兄弟エレファンツ、統一セブンイレブン・ライオンズ、興農ブルズ、LaNewベアーズの4球団。


1996年に野球賭博が発覚し人気を落としたが、球団の解散、売却も多いものの台湾リーグからMLBやNPBに移籍する選手も多く、次世代のスター候補が数多く在籍している。


しかし日本人選手は兄弟エレファンツの小林亮寛投手(千葉ロッテ→米独立・カルガリー→香川オリーブガイナーズ→現・兄弟)と興農ブルズの正田樹投手(日ハム→阪神→現・興農)の2人だけという非常に寂しい状態だ。

かつては、中村隼人投手(日ハム→巨人→アマ復帰→兄弟→引退)や伊代野貴照投手(阪神→兄弟→現・高知ファイティングドッグス)が在籍していたし、、田中充投手(千葉ロッテ→ヤクルト→横浜打撃投手→兄弟テスト生)が2009年に兄弟の春期キャンプにテスト生として参加していた。

小林は千葉ロッテ時代の5年間で一軍登板が一度もなく退団。退団後は中日で打撃投手をしていたが、2006年にアメリカに渡り独立リーグのカルガリー・ヴァイパーズで現役復帰。40試合に登板し0勝2敗防御率5.32だった。


2007年8月に四国アイランドリーグの香川オリーブガイナーズに入団すると15試合で1勝2敗1セーブを記録。12月に香川を退団するも、翌2008年に兄弟エレファンツのテストを受け合格。

この年27試合に登板(うち先発23試合)、10勝6敗1セーブ防御率2.66、WHIP1.18というエース級の見事な成績を残し台湾プロ野球のゴールデングラブ賞を獲得した。

翌2009年も登板23試合全てが先発でシーズン通して活躍したが、9勝9敗防御率6.06、WHIP1.61と大きく成績を落としてしまった。

小林は自身によるブログがマメに更新されているのでそちらを覗いてみるのも良いかも。



正田樹は日本ハムで新人王を獲得するなど先発投手として活躍するも、故障などで一軍での登板が減少。阪神移籍後は一軍登板なしで2008年に戦力外通告。

2009年1月に興農ブルズのテストを受験し合格。
開幕戦に先発し打ち込まれるも、その後は素晴らしい活躍を見せ、終わってみれば27試合に登板(先発25試合)14勝6敗防御率4.44、奪三振115で最多勝利と最多奪三振のタイトルを獲得しエースと呼ぶに相応しい成績だった。



小林は日本球界で活躍できず台湾球界で成功した選手だが、逆のパターンはよくある。
芝草宇宙投手(日ハム→ソフトバンク→興農→引退)は2007年に興農に所属したが、16試合に登板し2勝2敗1セーブ3ホールド、防御率5.84WHIP1.70でシーズン途中の5月に戦力外。

井場友和投手(日ハム→興農→長崎セインツ)は2007年に9勝9敗防御率2.67の好成績を残すも9月に退団。翌2008年に興農と再契約するも5月に退団。7月に四国・九州アイランドリーグの長崎セインツに入団した。


かつては、NPBを退団した選手で現役続行を希望する選手だったり、NPBのドラフトにかからなかった選手はMLBのマイナーや南北アメリカの独立リーグ、中国、韓国、台湾のプロ野球に挑戦することがあった。

しかし近年、台湾や韓国のリーグはレベルが上がってきており、以前ほど敷居が低いわけではなくなった。


それに野球体制の多様化により日本国内の独立リーグが増えてきたり、NPBの育成枠導入などで海外に行かなくても野球ができるようになったので、わざわざ言葉も文化も違う場所に行く必要がないのかもしれない。

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